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2017.05.01

山田 稔★天野さんの傘

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 当時、黒田さんは30を少し出たころだったが、若さに似ず大人の風格のようなものが備わっていた。三高時代は剣道3段だったそうで背すじがのび、声にも力があった。そのころよく一緒にいた多田道太郎とは体格だけでなく、さまざまな点で対照的だった。

 

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才気の人多田道太郎にたいし黒田憲治はいわば常識の人であった。

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桑原先生などは一方で多田さんの才知を愛でつつも、現実面では黒田さんの生活者としての知恵を重んじていたし、生島先生も黒田さんの堅実さを信頼して相談相手にもしていたようである。〔…〕

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後年、私はこの頼り甲斐のある先輩と、もっと付合っていたらよかったと悔んだものである。しかし当時、多田道太郎の発想の奇抜さ、〈多田マジック〉に魅せられていた私は、黒田憲治の「常識」に物足りなさをおぼえ、多田さんの方ばかり向いていた。

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そのような私は、黒田さんの目にどのように映っていたのだろう。何かの集まりの後など、私にむかって「多田の言うことはおもろすぎるわ。実際はあんなもんとちがうよ」と言った。その口調には〈多田のマネをしたらアカンよ〉と、暗に戒めるようなひびきがあった。

――「ある文学事典の話」

 ★天野さんの傘 |山田 稔|編集工房ノア|20157| ISBN 9784892712340|

 当方は山田稔のエッセイのファンである。2011年に『別れの手続き――山田稔散文選』がでたので、もう新しいエッセイ集はでないのか、なにしろ1930年生まれだものなぁ、とあきらめていた。が、いつもの編集工房ノアから本書がでていたのを、ようやく手に入れた。

 本書では、桑原武夫、生島遼一、伊吹武彦、天野忠、富士正晴、松尾尊允、北川荘平、多田道太郎、黒田憲治など京都の師と友が登場する。それは、忘れ得ぬ人々の思い出を“ひとり残された私が記憶の底を掘返している”のだが、同時に著者の“自伝”の一部のようなものである。

上掲の「ある文学事典の話」は、福音館書店発行の『西洋文学事典』(1954)が半世紀を経て、ちくま学芸文庫として復刊する話から始まる。「情報の新しさがつねに求められる事典の類が改訂も増補もなされずに元のまま復刊される」というは、例がない。

 ちなみに同事典ちくま学芸文庫版の「BOOK」データを調べると、……。

 ――『失われた時をもとめて』、『カラマーゾフの兄弟』、『戦争と平和』、『チボー家の人々』……。一度は読みたいと思いながらも、その分量の膨大さにくじけてしまう西洋文学の高い山。でもこの本があれば大丈夫。作品のあらすじから、時代背景、作者の人物像までが、わずか数分でつかめてしまう。一世を風靡した批評家・翻訳家たちによって執筆された文章はどれも味わい深く、示唆に富み、読書の悦びも与えてくれる。読んで楽しい文学事典の決定版。 

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 なんだか復刊の理由が分かる。福音館書店『西洋文学事典』は、桑原武夫監修とあるが、

 ――つまりこの仕事は福音館書店から桑原武夫に依頼され、さらに黒田憲治と多田道太郎に下請けされた。そしてその下請けの下請け、つまり孫請けの仕事を、むかし私は多田さんから分けてもらったのである。(本書)

 1958年ごろ、樋口謹一、多田道太郎、黒田憲治、加藤秀俊、山田稔の京大人文研メンバーで「DDの会」というのをつくる。DetectiveDocumentaryの頭文字。推理小説や記録文学(伝記、ノンフィクション)についておしゃべりしているうちに、「週刊読書人」に内外の名探偵Whos Who5人は匿名で連載する。

 上掲の文章はこう続く。

  ――1960年の12月に私が「思想の科学」に「現代の復讐者 松本清張」という評論を書いたとき、多田さんはおもしろいと言ってくれたが、黒田さんからは、あれは要するに一夜漬けのもの、思いつきにすぎないときびしく批判された。〔…〕

 それにもかかわらず、いやむしろそれゆえにと言うべきか、私は黒田さんにかわいがられていたという思いがつよい。(本書)

 さて、その後黒田憲治は神戸大学へ移るが、結核で入退院を繰り返し1961年、37歳の若さで死去する。この「ある文学事典の話」は、単なるエッセイではなく、忘れられていた黒田憲治という先輩を蘇らせたみごとな評伝である。

 ところで「DDの会」は、その後、現代風俗時評を「現代文化事典」と題して毎日新聞に連載する。単行本化されたのが『身辺の思想』(1963・講談社)である。

  当方、現在“終活”で手元の本を整理中だが、ここにその『身辺の思想』がある(佃公彦の“カット”がなつかしい)。本書に引用されているように「わたしたち4人、それに、先年急逝した黒田憲治の5人が、なんということなく雑談の集まりを持つようになったのは、たしか5年前のことだ」と、「まえがき」が始まっている。

 せっかくなので現代風俗・現代文化として扱われているものを紹介する。チューインガム・スキー・ロッカー・パチンコ・デート・ライター・乳母車・アルサロ・オルゴール・貸ボート・スーパーマーケット・あんみつ・少女歌劇・新書・電蓄・ボウリング・マージャンなどである。大宅壮一がカバーに「しゃれた“智的装身具”の一つとしておすすめしたい」と宣伝に一役買っている。

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 なお本書『天野さんの傘』には、『スカトロジア』の著者にしてフランス文学者らしい「初心忘るべからず」というパリの話も収録されている。

山田稔■ 北園町九十三番地――天野忠さんのこと

 
 

 

 

   
 

山田稔□別れの手続き――山田稔散文選

 
 

 

 

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