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2017.06.03

小玉武★開高健――生きた、書いた、ぶつかった!  ☆サントリー後輩による連作エッセイ風評伝

 

20170603

 

年譜的に開高自身の閲歴を見ると、自筆のものも含めて、開高の生涯は断絶することなくその行動がよく書き込まれていて、作品の執筆と日録的な動きがほぼきちんとつながっているようだ。

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しかし開高の全体像においては、見えない陰の部分が、今もって数多く存在する。理由は明白で、簡単なことだ。

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それは、このすぐれた小説家の伝記的な研究が、やはりまだ不十分ということなのである。

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そのため、単なる開高伝説に惑わされていることが少なくないのではあるまいか。ひとは“伝説”を壊すようなことを、あえてしたくないからだ。

 

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★開高健――生きた、書いた、ぶつかった!|小玉 |筑摩書房|20173| ISBN: 9784480818447|評価=◎おすすめ

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むかし神戸三宮の高架下に10人坐ればいっぱいというトリスバーがあり、仕事帰りにときどき寄り道した。カウンターに「洋酒天国」があったという記憶はないのだが、サントリー・ホワイト(白札)を飲むとちょっと贅沢気分になった。サントリー・オールドが世間を席巻するのはまだ先のことで、当時は水割りでなくハイボールが全盛だった。

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そのころ1962年に、著者は開高健より8年、山口瞳より4年遅くサントリーに入社した。そしてサントリー宣伝部の黄金時代を迎える。本書は、あとがきで「私のような経歴の者にとって、本書のような主題、すなわち開高健の生涯を辿るという試みは、たとえれば丹沢くらいしか登ったことのないものが岳をめざすようなことなのである」と謙遜しているが、この評伝、各章に趣向を凝らし、それが連作エッセイの趣きとなり、好ましい。

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上掲の開高健の「見えない陰の部分」の一つと思われるのが、悪妻牧羊子との関係である。晩年、世界各国を釣魚旅行をしたのはひとえに妻から逃れるためと、当方などインプットされている。“谷澤史観”というべきか。畏友・谷澤永一、向井敏などの牧羊子批判は徹底していた。『週刊プレイボーイ』編集者島地勝彦は谷澤と酒を飲むと、「いつも牧羊子の悪口ではじまり悪口で終わった」と書いている

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しかし本書は牧羊子擁護派である。佐治敬三夫妻を正餐に招いたり、武田泰淳夫などを招いて妻と娘の手料理でもてなすなどのエピソードを紹介し(その晩餐を扱ったエッセイは武田百合子「開高さんと羊子さん」『あの頃』所収)というがある)、茅ヶ崎転居後の「家庭内別居」発言などは開高健の「お道化=ピカロ精神」だと著者は言う。

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ところで開高健といえば、『夏の闇』のモデル探しがある。早大露文科出身でのちに交通事故死した子という愛人の存在は、水口義朗『記憶に残る作家 二十五人の素顔』の「開高健さん、その人の名は言えずで知った。また川西政明『新・日本文壇史』第10巻にも詳しい。本書では「面白半分」編集者佐藤嘉尚が明らかにした娘・道子のバイオリンの家庭教師だった恵美子という別の“愛人”も登場する。

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 さらに牧羊子が懇望した司馬遼太郎の弔辞では、開高のある作品の「永遠の女性」は「おそらく牧羊子さんがその原形でありましょう」と司馬が述べたことで、著者は「ということは『夏の闇』の「女」の原形のひとりとして、牧羊子が存在していると仮定しても、あながち納得できないことではない」と第3の女にしてしまう。

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 それはともかく、開高健には女性ファンが多く、面会謝絶の開高健の病室に侵入した釣り好きが嵩じて環境運動家になった 天野礼子川を歩いて、森へ 

 編集者として開高健の“私設秘書”ののちワイン研究家になった 

細川布久子(『わたしの開高健』)

 

この柳原良平の表紙イラストは本書の表紙と同じもの)などに著作がある。

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 以下は、ノンフィクションについての開高健の発言を本書から孫引き。

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 ――究極的にそれは心による取捨選択の結果生まれるものなのであるし、文字を媒介にするしかないものなのであるから、ノン・フィクションはあくまでもノン・フィクションであると知っておきながら同時にそれはフィクションの別の一つの形式なのだとも知っておかなければなるまい。(中略)だからこうなってくると、ノン・フィクションとフィクションのあいだにはほとんど膜一枚のへだたりもないのである。(『開高健全ノンフィクション』Ⅱ「頁の背後」)

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――ノンフィクションで書こうが、フィクションで書こうが、言葉、文字でやっている限り、すべてフィクションだと思うんだけれども、そうは言ってもやはり、ノンフィクションとフィクションの二種あってね。ただ、ノンフィクションで書いてても、こちらがうまく乗れたときね、そうすると、これはやはり歌のような気もする。ノンフィクションの素材の要求する歌……。 (江藤淳との対談集『文人狼疾ス』「作家の経済学」)

 

 

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