仙頭寿顕◎『諸君!』のための弁明
正式に退職した9月末日のあとに出た『文藝春秋』(2016年11月号)の「社中日記」に、こういう餞のコメントが出た。
《土佐出身の“いごっそう”仙頭寿顕が社を去ることに。松下政経塾出身で社歴の約半分を『諸君!』編集部で過ごした。人当たりは柔らかいが作る誌面は極めて硬派。編集長時代「ああ言われたらーこう言い返せ」シリーズで同誌史上最高部数を記録した。大の嫌煙家として知られ、受動喫煙の危険性を話したビラを配り歩いた伝説も。〔…〕国士・寿顕に幸あれ!》
ううむ…:。僕は、全然、国士じゃない、もちろん右翼ではない、
ちょっと保守派かもしれないけど、ジョージ・オーウェルと同じく、
反共リベラル型の中庸な人間だと何度も言っているのに、
誤解されたまま社を去ることになってしまったようだ。
仙頭寿顕◎『諸君!』のための弁明――僕が文藝春秋でしたこと、考えたこと 2019.05/草思社
1959年生まれ。“投書少年”に始まって、文藝春秋に入社、「諸君!」編集長等32年間の編集者生活を顧みた“自伝”。
松下政経塾出身らしくディベートにたけた口八丁手八丁の編集者。「諸君!」(1969~2009)は、朝日やNHKや岩波書店などがつくる「大勢」に対して「反大勢」(「反体制」ではなく)雑誌だったという。主義主張の異なる論敵には「歯に衣着せぬ」とはこのことかと思わせるほど居丈高に名指しで論破している。だが世渡りを気にしてか、気に入らぬ言動であっても上司などは匿名扱い。
編集部の風景ではこんな記述も……。
――そういう論文が掲載されると、発売日のその日の朝から、編集部に「田中角栄を擁護するとはケシカラン。いくらカネをもらっているのだ! 編集長を出せ」といった抗議の電話がよくかかってきた(読みもしないで、新聞広告のタイトルだけ見てコーフンする人がいるのだ)。
普通、編集部にかかってくるそんな電話は、若い編集部員が対応して、編集長が目の前に座っていても、「すみません、編集長はいま出かけていて、代わりに承ります」と言って、長々と続く抗議の電話を受けて、「貴重なご意見、ありがとうございました。編集長にもあとで伝えます。ご意見、批判などはなるべく封書でいただければ幸いです。筆者の住所はお教えできませんが、手紙でしたら転送もしますので…」と対応するのだが、
提(堯)さんは、そういう電話にもしばしば出て、読者と論争したあと、最後には「あんたね、そういうのを下司の勘繰りって言うんだよ、わかったかい!」と言ってガチャンと電話を切るのだ。(本書)
編集部の情景が目に見えるようだ。上掲で「僕は、全然、国士じゃない」と書いているが、本書はどう読んでも右方に傾いた“国士録”だった。それにしても“雑誌は人格をもつ”というのが当方のいちばんの感想である。
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