江國香織◎旅ドロップ
絵を買うのは勇気のいることだ。自分がその絵にふさわしいかどうか心配になる。
その絵にふさわしい場所を与えられるのかどうかも。動物を飼うのと似た責任を感じる。
しかも、絵は動物と違って死んだりしないので、私が買っても、それは私が死ぬまで(あるいは手放すまで)あずかっているに過ぎない。(「年中眺めていたかった版画のこと」)
#江國香織◎#旅ドロップ 2019.07/小学館
JR九州の「旅のライブ情報誌」『Pleaseプリーズ』に連載の1篇1,000字程度の短いエッセイ。
上掲は、パリ、セーヌ川ぞいの画廊で見つけた緑色を基調にした版画。店主に、一晩考えたいので一日だけその絵を売らないでほしいと頼んだ。が、心は決まっていた。それを掛ける場所について考えていた。ところが翌朝、ホテルを出て、歩いても歩いても、その店が見つからない。川ぞいなので迷うはずがないのに、おなじ道を何度往復しても見つからない。
絵といえば、同氏の旧著『日のあたる白い壁』(2001)を思いだした。
画家27人の絵にまつわるエッセイ集。“絵を見ること。その見た絵を文字にすること”の理想的なサンプル本だった。
本書にはこんなフレーズもある。
――それにしても、世のなかではなぜこうもにこやかがよしとされているのだろう。もしほんとうに“いつもにこにこ”している人がいたら、それはかなり不気味だ。笑顔というのはもっとプライヴュートで、ありふれてはいても特別で、輝かしく幸福なもののはずなのだから。 (「にこやか問題」)
――昔、家族で外食したり親戚の家を訪ねたりして、半日くらい家をあげたあと、帰ると母がよく門の前で、「ああ、よかった、家がまだあって」と言った。〔…〕いまは、母の気持ちがこわいほどわかる。「ああ、よかった、家がまだあって」
旅から帰って嬉しい気持ちのほとんどは、それに尽きるのではないかと思う。 (「帰る場所のこと」)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント