宮下洋一★安楽死を遂げた日本人 ……多系統萎縮症に苦しみ、3人の姉妹に助けられ、安楽死によって解放された51歳の人生
生命の終結を考える上で、安楽死は点でピリオドを打つ行為だ。一方の緩和ケアは線で終末期をとらえる。つまり死ぬまでの過程が大事だ。
たとえば末期症状で、もって1カ月という癌患者がいたとする。その1カ月は苦しい闘病生活が予想される。
セデーションを用いれば最後の数日間は眠って過ごせる。だが、そこに至るまでの苦しみを、すべて除去できるわけではない。〔…〕
一方の安楽死なら、余命1カ月となった時点で、自ら死を選択できる。この1カ月の苦痛は実質なくなる。
安楽死に惹かれる患者の心理がこのあたりにあることは間違いない。
★安楽死を遂げた日本人 /宮下洋一 /2019年6月/小学館/◎=おすすめ
宮下洋一の前著『安楽死を遂げるまで』(2017)は、スイスなど欧米の安楽死事情を綴ったノンフィクションで、身につまされるような事例を多く知った。著者はいう。欧米人は個人の死をやすやすと肯定するのに対し、日本人は死の哀しみや辛さも家族など集団で分かち合える国民性があり、個人の意思で死が実現できる安楽死という選択肢はなじまない、と。
同書出版後届いたメールのうち1通が、安楽死を望んでいる多系統萎縮症の女性、小島ミナからだった。ミナは「多系統萎縮症がパートナーになっちゃった」というブログを綴っていた。そのプロフィール。
――私の同伴者は萎縮していく小脳と脳幹。
動くことは勿論食べることも、内臓の動き、体温調節、呼吸まで不自由にさせてくれます。
医療関係者からも誤解され、周囲からなかなか理解されにくい病気ですが、病気の実態を知って貰うべく、私なりに思いを綴ります。(同ブログ)
ミナのブログは、2016年8月から始まっている。当初、脊髄小脳変性症と診断されていた。ミナは韓国語の翻訳と通訳で自立していたが、病気の進行で一人住まいをあきらめ、新潟の長姉恵子宅に引越しする。
長姉恵子――
恵子は2階にいるミナの物音にも気を配っていた。なにもかも受け止めるやさしい姉だが、「出過ぎた真似をして、ミナのプライドを傷つけないか」とたえず気にし、それが頭の回転の速いミナとぶつかることがある。
次姉貞子――
貞子は恵子の家へ車で半時間のところに住む。ミナが「寝たきりでおむつを替えてもらうのは耐えられないので、そうなる前に死のうと思う」と言ったのに対し、「私もそうするかもね」と答える。問題を顕在化させることで解決を図るミナと似た性格。
妹有紀――
車いすで検診を受けるミナに同行する。いっしょに住もうとミナに話す。
「強い姉ちゃんもいいけど、弱い姉ちゃんがもっと好き」と言われ、人に弱みを見せず生きてきたミナのこころに響く。
スカーフで綱状にして首をつったり、ためこんだ大量の薬を飲んだり、何度も自死を図るミナを3人の姉妹は支え続ける。
以下も本書のテーマである安楽死問題の可否にふれないが、ここまで読んで、当方はこの女性とその姉妹に既視感があった。ネットで調べ、気がついた。
NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」2019年6月2日。同一人物である。日本人女性が、自分らしさを保ったまま亡くなりたいと、スイスで安楽死を行ったドキュメンタリーである。スイスの自殺幇助団体「ライフサークル」の女医プライシックを訪ねる。
当方はあらためてオンデマンドで見直す気持ちにはなれなかった。たしか画面では、ベッドにミナが横たわり、そばにいるふたりの姉がミナを見つめ、女医プライシックがミナに話しかけていた。
だが、この場にはカメラには写っていないが、ノンフィクション作家の宮下がおり、声には出せなかったが、「まだ遅くはない。日本に帰ってもいいんですよ」と心の中で呟いていた。またNHKのカメラマンの井上秀夫がおり、ディレクターの笠井清史がいたのである。
以下、本書からその一部分のみを引用したい。
――60秒が経過した。
想定外の流れだ。致死薬が効いてこない。わずか30秒ほどで眠りに入ると説明されていたはずだ。小島〔ミナ〕は、意識がなくなるまで全身全霊の力を振り絞って言葉を発し続ける。
「笠井さんも、私のことをちやほやしてくれてありがとう」
足元のほうでマイクを手に持ち、頬に涙を滴らす笠井は、彼女の顔を覗き込みながら「好きだったからですよ。ありがとうございます」と、最後の言葉を投げかける。カメラがぶれないよう、必死で支える井上の目からも大粒の涙が流れている。
その時、彼女の表情から力が抜け、「んーっ」と息が漏れた。(本書)
このあと、ミナの最期の「す~ご~く、しあ~わせ~だった……」という言葉がもれるのである。安楽死が“良き死”であるかどうかは、一概に言えないし、判断できない。ここにはミナという多系統萎縮症に苦しみ、3人の姉妹に助けられ、そして安楽死によって解放された51歳の人生があるのみである。
註:
本書での「安楽死」は、「患者本人の自発的意思に基づく要求で、意図的に生命を絶ったり、短縮したりする行為」を指す。安楽死は、積極的安楽死(医師が薬物を投与し、患者を死に至らせる行為)、自殺幇助(医師から与えられた致死薬で、患者が自ら命を絶つ行為)などに分けられる。今回のケースは後者。
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