久世光彦★「あの人」のこと …………人を褒めることにかけては天才だった久世のアンソロジー、ファンへの最後の贈り物
はじめて読んだときから数えて、今日まで40年余りの間、私の中で、ずっと柔和な光を放ちつづけている佳篇である。
太宰には、思い出す作品がたくさんあるが、何かにつけて、この「満願」ほどよく思い出すものはない。
人間の幸福について考えるとき、蘇る。年月について思うとき、心をかすめる。明日の朝、目が覚めたときの自信がない夜、ぼんやりとラストの光景が浮かんでくる。
十分ばかりのミニドラマにしたいものだと、かねてから思っていた。白い日傘が、くるくると回りながら、野の小径を遠ざかっていくラスト・シーンは、35年、私が撮ってきたどんなドラマのエンディングよりも、きれいで悲しいに違いない。このシーンを観た誰もが、気がつかないうちに涙ぐんでいることだろう。
――「満願」
★「あの人」のこと /久世光彦/2020年3月/河出書房新社
久世光彦のエッセイをあつめたアンソロジーである。本書を担当した編集者は、よほど久世のドラマやエッセイが好きなのだろう。もし“読者が選ぶ編集者大賞”があれば、すぐさま本書の編集者を推したい(名前はもくじの裏に記されている)。
たとえば上掲の太宰治の「満願」。400字詰5枚足らずの短篇。当方もきっと読んでいるに違いないが、思いだせない。読んでみたくなる。そこでこの編集者は、
――*「満願」は、新潮文庫「走れメロス」、ちくま文庫「太宰治全集」第2巻・岩波文庫「富獄百景 走れメロス」などに収録されています。
と、久世の400字詰10枚余りのこのエッセイの終わりに、本書唯一の註を入れるのである。
タイトルの「『あの人』のこと」とは、久世にとっての「特別の人」向田邦子のことだ。巻末に山口瞳が「木槿の花」にたとえた向田邦子の死をあつかった週刊新潮の「男性自身」の連載に触れ、久世が嫉妬を燃やしたと書いたエッセイをおき、同時に巻頭に、
あはれしるをさなごころに
ありなしのゆめをかたりて
あまき香にさきし木蓮
その花の散りしわすれず
という三好達治の詩の1節をふくむ久世の向田との交遊を記したエッセイをおき、木槿vs.木蓮を演出する。
さて、本書を読むと、久世は人を褒めることにかけては天才だとつくづく思わせる。たとえば……。
――樹木希林
何の商品の宣伝かわからなくても、この人の印象だけは、滑稽なのにどこか切なく、笑った後に妙に悲しく残る。CMに出ている人は数知れずいるが、わずか15秒で、後に余韻を残す人はこの人しかいない。
――黒柳徹子
話術の天才と人は言うが、〈術〉ではない。この人の話には、女だてらに〈魂〉があるのだ。自分が可愛くて、人が好きで、喋ることがその人を愛することで、だから喋りながら笑い、喋りながら泣いている。これはやっぱり、〈魂〉ということである。
――小林薫
年下なのに、何だか懐かしい奴なのである。雨の日の小林も好きだし、蒸し暑い夜の小林も好きである。
――内田裕也
この国で〈私立探偵〉という役を完璧にやってのけるだろう俳優は、内田裕也一人である。レイモンド・チャンドラーは、てっきり裕也をモデルにしてフィリップ・マーロウを創ったのかと思ったことがある。
久世光彦(1935~2006)、亡くなって14年。いまだに新年になると田中裕子、小林薫の「向田邦子新春シリーズ」をテレビ欄で探す。
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