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2020.07.05

★つりが好き アウトドアと文藝    …………24篇の釣り談義のなかの1篇幸田文「鱸(すずき)」を読んで「おとうと」の方へ

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 父は何度この話をしたろう。よほどそのときの弟の笑い顔に心を絞られたものと見える。が、その話をしばしば話すようになったのは、その弟がはたちで亡くなった後のことである。

 感傷もなにもなく、明るく懐かしく話したが、私には跡味が寂しく残された話なのである。

 少年の姿がかわいいのか、父親の心が哀しいのか、釣られる魚がいとおしいのか、供をする船頭が辛いのか、水がせつないのか、船が寂しいのか、


――いちばんはっきりわかっていることは、父は息子をかわいがっていてそれに先立たれたということである。


――幸田文「鱸(すずき)」(『包む』1956)

★つりが好き アウトドアと文藝/2020.03/河出書房新社


 井伏鱒二をはじめ24名の釣り談義をあつめたアンソロジーである。編集者の名が書かれていないが、高齢の方なのか、著作権を意識したのか、おなじみの釣り師を並べたせいか、古い作品が多い。

 以下、幸田露伴、幸田文親子のエッセイのみ紹介する。

 ――古語にも、香餌の下大魚ありとは云わずや。軽き竿、利き鉤の用も、魚の来らぬ上は甲斐無きことなれば、すべての機具はいかに精巧なるも、餌にして宜しからざれは功を収むるには遠しというべし。釣魚の道も多端なれば、餌もおのずから多種にして、一時に之を説き尽す能わず。
今先ず鮒釣に対する餌に就きていささか談らんか。(「釣魚談一則」)

と、いささかと言いつつ、「餌を精(くわし)うすることを務むべき」と蚯蚓(みみず)について延々と書いている。

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 その父露伴を語る幸田文「鱸(すずき)」は、父の釣りは自ら釣り船をもち、“河の鱸”に偏っていたと書く。

 ――船頭は長いなじみだから善悪ともに父の気象も、家庭の状態――つまり私たち三人の子を置いて母親が亡くなり、つづいて総領娘も逝き、その後に新しく来た人もうまくそぐわず、その人も寂しく父子も寂しいという状態を、よく承知していた。(「鱸」)

 ああ、これはなんと、初期の代表作『おとうと』(1956)の世界ですね。

 天気上々の釣り日和の日に、甘ったれでわがままっ子の弟を、父は釣り船に乗せる。一人前に綸(いと)を握っている弟の鉤(はり)へ魚のほうでかぶりついてきた。弟は有頂天になり、早くその魚がたべたいと催促し、塩をぶっかけ焼いた尾頭つきを頬張って、「うまいなあ」と笑ったという。

 そして上掲の「父は何度この話をしたろう」に続く。その弟は20歳で亡くなる。

 もう半世紀以上もまえに読んだ『おとうと』や市川崑監督の映画(1960)の“銀残し”という手法の渋い色彩を思いだす。そしてこんなセリフ――。

 ――平凡だよね。平和だよね。どこにも感激するような事件というものはない。でもね、そういう景色、うっすらと哀しくない? え、 ねえさん。おれ、そのうっすらと哀しいのがやりきれないんだ。(『おとうと』)

露伴には、「釣師撲つ露は銀河のしぶきかな」の句がある。

 

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