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2020.07.12

沢木耕太郎★旅のつばくろ         …………つばくろ【燕】「つじかぜやつばめつばくろつばくらめ」日夏耿之介

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 私は緑と青の美しい世界を歩きながら、どこかで思わないではいられなかった。もし、十代の頃ここに来ることができていれば、どれほど心を動かされたことだろうと。

 旅人は、いつでもそこに行くのが遅すぎたのではないかと思う。もう少し前に来ていたらもっと自然な佇まいが残されていただろう、これほど観光化されていなかったろうと。
 しかし、と一方で思わないでもない。〔…〕

 確かに、かつてのあの時だけが「時」だったのではなく、今も「時」なのかもしれない。
いや、むしろ、ようやく訪ねることができた今こそが自分にとって最も相応しい「時」だったのではないだろうか。
 今が、時だ。

 奥入瀬渓流沿いの遊歩道を逆に辿り返しながら、私はそう思うことにしようなどと考えていた。(「今が、時だ」)

 

★旅のつばくろ /沢木耕太郎 /2020.04 /新潮社


 JR東日本のPR誌「トランヴェール」に連載したエッセイ。著者の初めての一人旅は、16歳のときの東北一周旅行だったという。

 ――このときの経験が、その後の私の旅の仕方の基本的な性格を決定したのではないかと思われる。いや、もしかしたら、それは単に旅の仕方だけでなく、生きていくスタイルにも深く影響するものだったかもしれないと。 (あとがき)。

 沢木は50年前の旅をなぞるように三陸海岸浄土ヶ浜、津軽半島龍飛崎、秋田の藤田嗣治の絵、また16歳のとき積雪のため断念した奥入瀬などを訪ねる。著者は“再訪”によって新旧の旅をつむぐ。

 蟹田という津軽線の駅で途中下車し、太宰治の文学碑を訪ねる章がある。
 1956年、檀一雄が劇団員の若い女性とともにこの文学碑の除幕式に参加する。のちに『火宅の人』を生む契機となる。沢木には『壇』という『火宅の人』の妻を描いたノンフィクションがある。「不道徳な!というようなお叱りを受けることになるのかもしれないけれど」と断わりを入れて、以下……。

 ――檀一雄は、この蟹田行きを契機に、連れてきた劇団員の若い女性ともうひとつの文学的な青春を生き直すことになる。
 作家には、たとえそれが「不倫」であれ、誰かに惹かれているという心の華やぎが精神を若返らせ、作品に艶を与えることがある。 (「心の華やぎ」)

 当方70代であった2013年から3年続けて、奥入瀬を含め東北の地を一人旅したことがある。しかし20代の一人旅の平泉中尊寺、終着駅三厩、龍飛崎などの地は、再訪しなかった。昔の記憶にある風景を塗り替えたくなかった。

 ところで先般読んだ佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』(2020)の中で、著者の年老いた父が年老いた母をひとりで介護する章がある。その父の家庭や施設や病院での言動の一つ一つが胸を打った。テレビドラマ『ながらえば』(山田太一作)の笠智衆を思い浮かべた。

 そこでオンデマンドで、山田太一作、笠智衆主演の『ながらえば』(1982)『冬構え』(1985)『今朝の秋』(1987)を見た。このうち『冬構え』は、当時見ていたが、まったく記憶に残っていなかった老人の東北への一人旅である。老残の身に耐えがたく死の決意を秘めた旅であった。

 鳴子温泉から始まり、東北各地へのロードムービーだが、当方の訪ねた田老の津波防潮堤、遊覧船にウミネコの群がる浄土ヶ浜もなつかしく画面に現れる。
ただし当方の旅は、老残の身ではあっても死の旅ではなく、大震災の鎮魂の地を訪ねる旅であった。

――つばくろ【燕】
つばくらめから転じたもので、つばめの意。詩人の日夏耿之介
の句に「つじかぜやつばめつばくろつばくらめ」がある。  (本書)

 

Amazon沢木耕太郎★旅のつばくろ

 

 

 

 

 

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