青山ゆみこ★ほんのちょっと当事者 …………コロナ禍の今、“ほんのちょっとの間”でいい。正々堂々と「生活保護」の権利を行使したい。
バカはアリのように働き、言われるがままに納め、死んでいくしかないのか。そんなのやっぱり悔しい。
生活保護制度だって、わたしに与えられている権利だ。もしそのときが来たら堂々と申請して受給したい。それには情報と最低限の知識が必要だ。
わたしは間違っていた。
必要なのは、「働き方改革」ではなくで、なにより「知る」ことなのだ。
わたしはこの国から、「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることを保障されている。
改革すべきは、アリの働き方ではなく、アリに保障されているはずの権利が正しく行使されていない現状ではないのだろうか。
――築8章 わたしのトホホな「働き方改革」
★ほんのちょっと当事者 /青山ゆみこ /2019.12 /ミシマ杜
著者には、脳梗塞で倒れて以来の左半身麻痺、最近ではアルツハイマー型認知症等が進行している要介護3の父がいる。2年半前に母が死去した後、その父と向きあい、初めて自分が「介護問題」の当事者であることに気づかされた、という。
それまで “世間の介護問題”と思って見聞きしていたものが、急に自分事として切実に迫ってくる。
――自分でも見落としていたあれこれに目を向けて、ほんの少しの当事者意識をもって改めてぐるりと周りを見渡せば、いつもの景色のなかにそれまで見えなかった風景がくっきりと浮かび上がり、世界の見え方が少し変わっていくような気がした。
わたしたちが「生きる」ということは、「なにかの当事者となる」ことなのではないだろうか。(まえがき)
ローン地獄、児童虐待、性暴力、障害者差別、看取りなど、“ほんのちょっと当事者”として、つまり「自分事」として考えてみたのが本書である。ただ、ウェブや書籍やドキュメンタリー番組での既知の情報が引用されているのは興をそぐ。著者自らの経験を綴った部分は生々しく“ちょっと当事者”に役立つようなヒントが記されている。
上掲の「働き方改革」では、著者が一度だけ登録した「派遣」の経験談が語られる。当時(今も)、著者はフリーランスのライターである。そこでその仕事を継続しながら、経済的安定をも図るため、図書館勤務をもくろみ、そのための人材派遣会社に登録しようとする。その汗と涙の奮戦記は本書で……。
本書はコロナ禍以前に書かれたものだが、メディアの報道によれば、新型コロナが影響した解雇や雇い止めが2020年6月末で3万人を超え、広がりは収まっていない。また、完全失業者数は2月以降で33万人増加した。“失業者予備軍”の休業者数も400万人と高止まりしており、失業率は今後急増する恐れが指摘されている。
学生の就活も内定取り消し、飲食店やアパレルなどの廃業による雇止め、解雇、また自営業者、フリーランスでなど個人事業主も収入が途絶えているケースが多い。
そこで上掲のように著者が説く生活保護制度である。第2次安倍政権後の2013年、法改正により生活保護基準の引き下げが実施された。以後、締めつけが進行している。また不正受給の非難に便乗し“生活保護叩き”が行われている。
しかし本来生活保護を受けることが可能な生活困窮者の中で実際に生活保護を申請し受給している者の割合(捕捉率という)は2割程度と言われている。たとえば小さな子どもをもつシングルマザーなどがおこす悲劇的な事件が報道されるたび、「情報と最低限の知識」をもって、ほんのちょっとした勇気で権利を行使せよと叫びたくなる。
コロナ禍の今、「生活保護」は他人事ではない。“当事者”そのものの数が急増している。 “ほんのちょっとの間”でいい。ふつうの生活に戻れるまでの間、正々堂々と権利を行使したい。
| 固定リンク
« 轡田隆史★100歳まで読書 …………春のうららの隅田川の「花」は「源氏物語」胡蝶の巻に元歌がある | トップページ | 小林紀晴★まばゆい残像 そこに金子光晴がいた …………久しぶりに金子の詩集を読んで旅の感傷にひたった »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント