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2020.08.16

朝井まかて★眩(くらら)              …………応為の春画④ 善さんの優しさは毒だ。あたしは毒を喰らう。目眩がした。

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 一度限り。

 初めはそんなつもりで互いの帯を解いたのだ。去年の、秋草の頃である。あれから幾度、肌を重ねただろう。

 

 夕闇暮れのお栄の家で、夜更けの工房の隅で。名も知らぬ小さな寺の、古い木立の蔭で忙しなく裾を捲ったこともあった。〔…〕

声を殺しても息が洩れる。善次郎があたしの中にいる。そう思うだけで、身の中心から重く激しい波が起きてうねった。

 

 お栄は己の素性を初めて知ったような気がした。〔…〕

 それでも、お栄はいつも一度限りだと思ってきた。

 むろん、これを最後にしようと定めるほど殊勝じゃない。二人の仲はこれからどうなるのだろうと思案に暮れるのも、真平御免だった。

★眩(くらら) /朝井まかて /2016.03 /新潮社 


 朝井まかて『眩(くらら)』は、お栄=応為をクールに熱演する宮崎あおいのドラマ『眩~北斎の娘~』(2017、加藤拓・演出)を抜きに語れない。以下、小説とドラマを行きつ戻りつ……。

 たとえば母小兎がお栄に「お父っあんを頼んだよ」とにっこり笑いながら戸口から出てゆく。突然傘が大写しに。その戸口から僧侶が出てくる。母の死を暗示する場面である。この省略の見事さ。長篇を73分のドラマにするのにエピソードの取捨選択、そしてセリフの簡潔化など、大森美香の脚本に感嘆する。

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 たとえば小説のプロローグ部分、( )内はドラマの表現。

この世は、円と線でできている。 (北斎の台詞)

眠りこけてる猫なんぞ尻と背中、それから頭もだ。 (北斎が紙に描く)

ほれ。こうして、円が重なってるだろう。 (北斎の台詞)

男は大きな胡坐の中に幼い娘を坐らせて、絵を描いていた。遊んでやっているのではない。まだ五つの我が子を相手に、真剣に「画法」を説いているのである。 (北斎がお栄を抱いて教えている映像)

「尾っぽも丸く、尻に巻きつけている。これも円だ」 (北斎の台詞、そして絵の猫が動き出す)

 ドラマが省略の美とすれば、小説は抑制の美である。

たとえば芸者のお滝が母の葬儀に来てくれたことを話題にしたとき、善次郎がお滝と一緒に住んでいると初めて知り、「どうしたんだろ、あたしの胸。何でこんなに動悸を打ってる」という場面。

 あるいは、北斎から善次郎が死んだと突然遂げられ「夕闇の中に埋もれるように、動けなくなった」場面。

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 だが、抑制した表現が爆発する場面がある。

 ――親父どのは太い彩色筆をむんずと掴むように持ち、腕を大きく動かした。命毛が富士の山麓で横に寝て、そのまま上に、左へと動く。軌跡は太いが墨色は浅く、ぼかしながら進んでいく。いったん画面の左端まで突っ切って、今度は富士の背後に回り込むように左の上の奥、そして右の稜線の向こう側からまた左右にたなびきながら画面の右上へと描かれていく。

 黒雲だと気づいて、お栄の背筋がぞくりと動いた。(本書)

 応為の描いた富士に、北斎が龍を描き加える『富士越龍図』制作の場面、その一部分である。北斎の筆の動きが著者朝井まかての指先に乗り移り、文字がほとばしる。

Amazon朝井まかて★眩(くらら)

 

 

 

 

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