吉田篤弘★奇妙な星のおかしな街で …………外へ出ること。ゆっくり読むこと。そして、一人きりで読むこと。
そこは広大な都市なので、再会が約束されているとはいえ、会いたい人がどこにいるかわからない。
それで、天国に到着すると、まずは探偵を雇うことになる。
なにせ、天国には死がないから、殺人事件が起こらない。
それゆえ、古今東西の名探偵が暇を持て余している。
彼らが掲げている看板の文句はどれも同じで、
「会いたい人、捜します」
とある。
会いたい人は一人や二人ではないだろう。あの大きな戦争が終わったあとのように、天国では誰もが誰かを捜している。
「もう一度、会いたい」と。
――「天国の探偵」
★奇妙な星のおかしな街で /吉田篤弘 /2020.07 /春陽堂書店
これは、奇妙な星・地球のおかしな街・東京で起こったふだんは誰も気に留めないこと。
事件事故、政治、評伝、紀行、疾病、老後といったノンフィクションばかり読んでいると、ときどきシックな装丁の吉田篤弘の作品を手に取りたくなる。
ノンフィクションにはない物語の発想力、というよりも空想力に魅かれるのだ。本書はエッセイ26篇を集めたもの。小説化のための“秘密”が垣間みえる。つまり「よく考えると、なんか変だぞ」といったものだが。
上掲の「天国の探偵」で著者の考える「天国」とは……。
――ぼくの夢想においては、天国に死は存在していない。したがって、競争や不安や計画といったものも存在しない。時間もおそらく存在せず、物事が前へ進んでいくという概念はそのままだが、こちらの世界のあらゆる過去の時間が折り重なって共存している。
そうした過去の時間や物事は自分の経験によってかたちづくられ、逆に云うと、経験のない物事は自分の視野に入って来ない。
――つまり、天国というのは自分の経験と記憶と知識によってつくられているわけで、だからもし、天国において豊かな生活を送りたいのなら、こちらの世界で、ありとあらゆるものに触れ、知識を深め、歴史や風習を広く学んでおく必要がある。こちらでぼんやりと生きていれば、天国での生活もまた、ぼんやりとしたものになる。(「天国の探偵」)
1篇400字詰4枚ほどの短いエッセイだが、“オチ”があるのが何よりもいい。たとえば「『夜』の箱」、「もうひとりの自分」……。また短いエッセイをさらに短く読むためには、タイトルと最後の一節だけ読めばいい。
もっともそういう読み方は駄目というのが、「旅先で読む本」。「どんな本がお勧めであるか」と訊かれたら、「どんなふうに本を読むのがいいか」を提案すればいいのだ。以下その一節。
――外へ出ること。
ゆっくり読むこと。
そして、一人きりで読むこと。
とりわけ、ゆっくり読むことがお勧めで、ゆっくり読むと、まるで別の本として読めるので、再読でもいっこうに構わない。 (「旅先で読む本」)
本書は緑色の便箋のような縦罫線の紙面に文字が印刷されていて、やや古風なかたちがおのずから「ゆっくり読む」よう促がしている。
――医学が扱うのが命であるなら、物語を書く者は、心を扱うことで、やはり見えないものを、いかにして言葉に置き換えられるかに挑んでいるのかもしれない。 (「見えないもの」)
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