磯崎憲一郎★日本蒙昧前史 …………月日はあっても、年はない。職業はあっても、氏名はない。滅びゆく国の前史である。
プライバシーもへったくれもあったものではない、思い出してみればみるほど、じっさい酷い時代だったのだ、この時代の人々が果報に恵まれていたなどというのも、本当かどうか怪しいものだ。しかしそんな時代であっても、後の時代に比べればまだまともだった、不愉快な思いに苛まれずに済んだ、そう思えてならないのは、
けっきょくこの国は悪くなり続けている、歴史上現れては消えた無数の国家と同様に、滅びつつあるからなのだろう、いかなる国家も、愚かで、強欲で、場当たり主義的な人間の集まりである限り、衰退し滅亡する宿命からは逃れられない、
我々は滅びゆく国に生きている、そしていつでも我々は、その渦中にあるときには何が起こっているかを知らず、過ぎ去った後になって初めてその出来事の意味を知る、
ならば未来ではなく過去のどこかの一点に、じつはそのときこそが儚く短い歴史の、かりそめの頂点だったのかもしれない、奇跡のような閃光を放った瞬間も見つかるはずなのだ、
★日本蒙昧前史 /磯崎憲一郎 /2020.06 /文藝春秋 /◎=おすすめ
滅びゆく国の前史である。それは1970~80年代。
だが月日はあっても、年はない。
職業はあっても、氏名はない。
しかしあえて年を表示すれば、……。
1984年 誘拐された製菓会社の社長
1976年 五つ子の父となった記者
1972年 グアムから帰った元日本兵
1970年 万博太陽の塔の目玉男
句点(。)よりも読点(、)を多用し、改行を避けながら、しかし一気に読ませる。
事件が世間をにぎわすことがなければ、無名のまま一生を終えたはずの男たち。だが蒙昧なのは事件や男たちではなく、メディアそのものではないか。
そしていまやマスメディアの劣化は目を覆うばかり、ソーシャルメディアはフェイクニュースが入り交じり繁殖中。
――もちろんこの頃既に、人々は同質性と浅ましさに蝕まれつつはあったが、後の時代ほど絶望的に愚かではなかった、解けない謎は謎のままに蓋をするだけの分別が、まだかろうじて残っていた。 (本書)
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