村上春樹★猫を棄てる 父親について語るとき ……メタフォーは難しいので、小学生の頃の幻住庵の方へ
兵役にとられ、厳しい初年兵教育を受け、三八式歩兵銃を与えられ、輸送船に乗せられ、熾烈な戦いの続く中国戦線に送り込まれた。
部隊は必死に抵抗する中国兵やゲリラを相手に、休む暇もなく転戦を繰り返している。平和な京都の山奥の寺とは何から何まで正反対の世界だ。そこには精神の大きな混乱があり、動揺があり、魂の激しい葛藤があったに違いない。
そんな中で、父はただ俳句を静かに詠むことに慰めを見出していたようだ。
平文で手紙に書けばすぐ検閲にひっかかるようなことがらや心情も、俳句という形式――象徴的暗号と表現していいかもしれない――に託すことによって、より率直に正直に吐露することができる。
それが彼にとっての唯一の、大切な逃げ場所になったのかもしれない。
父はその後も長いあいだ俳句を詠み続けていた。
★猫を棄てる 父親について語るとき /村上春樹 /2020.04 /文藝春秋
当方は村上作品を愛読しているが、それは“卓抜な警句と意表を突く比喩”をコレクションし、楽しむためである。
本書は、戦争が一人の人間の生き方や精神をどれほど変えてしまえるかということを、無名の一市民である自分の父親を通して描いたエッセイだ。そこにしゃれた警句や比喩はない。
どんな文脈の中で語られたフレーズか記憶にないが、読みながら当方のコレクションの一つを思いだした。
――うちの父親は自分の人生について他人に語るということをしない人だった。〔…〕むしろ地面についた自分の足跡を、箒を使って注意深く消しながら、後ろ向きに歩いているような人だった。 (『騎士団長殺し』2017)
本書の父親を彷彿させる。
ちなみに『騎士団長殺し』の主人公の友人の父親は、雨田具彦という高名な日本画家。戦前は洋画家だったが、ウィーン留学中にナチス高官暗殺未遂事件に関与し日本へ送還され、戦後日本画家へと転身という人物。その父はまだ小学生だった友人に、叔父が軍刀で捕虜の首を三度も斬らされたという話を聞かせたというエピソードが添えられている。
夙川の小学生だった頃、父といっしょに自転車で2キロメートルくらい離れた海辺に一匹の猫を棄てに行く。2人は自転車でまっすぐ帰宅したが、棄てたはずの猫が家で出迎える。父は、呆然とし、やがて少しほっとする。
「猫を棄てる」話が冒頭にあり、なぜそれがタイトルなのか、当方は理解できなかった。ネットで書評類を探して読むと、それはメタファーだという。
20歳の父が輜重兵(しちょうへい=軍馬の世話する兵隊)として中国大陸の戦線に送り込まれていた頃、“南京大虐殺”があった。じつは「自分の属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑したことがある」と父が語ったことがあり、そのわだかまりが南京攻略戦以前に父は帰還していたことが判明し、「ひとつ重しが取れたような感覚があった」と。猫の話はそのメタファーだという。
あるいは、若い頃から父とは疎遠になっていて、作家となってからは「20年以上まったく顔を合わせなかったし、よほどの用件がなければほとんど口もきかない、連絡もとらないという状態が続いた」が、父のことを調べるうちに和解のこころが生まれる。捨てたはずの猫が戻ってくるというは、そのメタファーだともいう。
当方は俳句が好きでメタファーには慣れているけど、そう読むのか。難しすぎる。
「鳥渡るあああの先に故国がある」
「兵にして僧なり月に合掌す」
これが父の戦場での句である。京都の寺の次男に生まれ、浄土宗西山派の西山専門学校在学中に徴兵されている。すなわち、兵にして僧なり、である。
「鹿寄せて唄ひてヒトラユーゲント」
「一茶忌やかなしき句をばひろひ読む」
もっと知りたいが、残念ながらこの4句しか記載されていない。
教師となった父は、生徒たちを集めて、俳句同好会のようなものを主宰していたという。小学生の著者も連れていかれたという、こんな一節がある。
――一度ハイキングがてら、滋賀の石山寺の山内にある、芭蕉がしばらく滞在していだと言われる山中の古い庵を借りて、句会を催したことがあった。どうしてかはわからないが、その昼下がりの情景を今でもくっきりとよく覚えている。 (本書)
以下、小玉武『美酒と黄昏』(2017)からの孫引きだが、村上に「八月の庵――僕の『方丈記』体験」(1981年雑誌『太陽』に掲載。単行本未収録)というエッセイがあって、そのことをこう書いている。
――その時、春樹は、句会の連座には入らなかったとあるけれど、暗い庵の縁側に一人座って、蝉の声を聞き、草深い庭を眺めていた時、ふと衝動におそわれている。
《死はそれまでの僕の生活にほとんど入り込んでこなかった。(中略) しかしその庵にあっては、死は確実に存在していた》
最晩年の芭蕉が隠棲した山の中腹の荒れ果てた「幻住庵」、そこで小学生の春樹少年が、生まれて初めて体験した決定的な「死」の予感だった。
人は、その生涯のどこかで、確実に死を予感し意識する瞬間があるのだ。 (同書所収「風鈴――村上春樹と幻住庵」)
ついでに同書から、村上小学5年生時の作品を紹介する。この句が本書を読んだ印象、すなわちメタフォーだといえば、いかが。
風鈴のたんざく落ちて秋ふかし 春樹
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