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2020.10.08

宮川徹志★佐藤栄作最後の密使――日中交渉秘史    …………日中国交正常化の99%は田中角栄以前に解決済みという“密使”の実像を追う

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 ここから先の交渉の結末については、まず江鬮(えぐち)の手記を見てみる。


 昭和47〔1972〕年6月17日――その日、香港はひどくムシ暑かった。
 この日にかぎって、私と、「対日邦交恢復香港小組」との会談は、めずらしく早朝9時から始まった。〔…〕

 ――会談は、昼食を抜き、もう4時間近くもつづき、午後1時を大きくまわっていた。4人は、訪中スケジュール表を具体的に作成していたのである。……と、その瞬間、1枚のメモがとどけられた。「小組」側委員の1人は、なに気なく、メモを読み、硬い表情をつくると、あわただしく他の2人に、メモを読むようにうながした。

一瞬の沈黙、が部屋を支配した。不吉な予感が私の背筋を走った。メモは、私の目のまえに示されていた。


佐藤総理、本日、引退を表明――と、乱れた文字で書かれていた。新華社からの“至急連絡”であった。


 会談は、小休止した。〔…〕西垣昭秘書から宿舎のネイザンホテルへ国際電話を受けたのは、その日の午後8時半だった。

 

★佐藤栄作最後の密使 日中交渉秘史 /宮川徹志 /2020.04 /吉田書店


 佐藤栄作は1964年11月から1972年7月まで長期にわたり首相を務めた。最大の功績は1972年の沖縄返還であろう。

“密使”としてアメリカとの事前交渉にあたった京産大教授・若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(1994)。「ニクソン、佐藤栄作、キッシンジャー、若泉。知っているのは4人だけ」という帯の惹句、そのスリリングな交渉に興奮しながら、この大冊を読んだ記憶がある。

 だが佐藤首相には、もう一人“密使”がいた。中国との国交回復のために動いた江鬮眞比古(えぐちまひこ)である。謎の人物である。何者か。

 1915年生まれ。1939年、外務省文化事業部第一課嘱託。半年余りで退職。1962年、天星交易、設立。1971年、小金義照衆院議員と佐藤首相訪問。以後、“密使”として日中交渉に従事。1997年、死去。なお本書のエピローグや追補で江鬮(えぐち)という人物を詳しく記述している。

 1972(昭和47)年9月、田中角栄首相が訪中し、周恩来首相と日中共同声明に調印し、国交が回復した。日中戦争の終結から27年後のことであった。田中内閣になってわずか3カ月足らずで、それが実現した。だが、「99%までは、佐藤栄作の手で解決済みであった」というのが本書である。

 周恩来が当時日本側に国交回復のうえで提示していた「復交三原則」がある。
①中華人民共和国は、中国を代表する唯一の政府であること。
②台湾は中国の不可分の領土であること。
③台湾と日本の間の日華平和条約を破棄すること。

 上掲の香港小組との交渉段階では、前後4回にわたる佐藤総理から、周恩来総理へあてた「親書」と付帯文書の検討、そして、「香港小組」から出された170項目にもわたる質問に対する返答を検討のすえ、一つの“合意点”を見いだしていた。

 ――合意点――すなわち「佐藤総理の8月訪中実現」である。くわしくは、①佐藤総理は、昭和47年8月1日、中国建軍記念日に北京を訪問、共同声明を発表する。②共同声明の発表後、3カ月~6カ月以内に、政府間交渉によって「平和条約」を締結する――という大綱であった。

 そこへ佐藤首相退陣のニュースが飛び込んできたのだ。当時の国内事情を別の本で調べてみた。


 前年の1971(昭和46)年、
 6月17日、沖縄返還協定調印。ポスト佐藤が議論されるなか、7月5日後継に向けて福田赳夫蔵相を外相に、田中角栄幹事長の党内での力をそぐために通産相にと佐藤は内閣を改造した。10月の毎日新聞世論調査では佐藤内閣支持率23%、史上最低となる。ポスト佐藤にむけて自民党“三角大福中”の派閥抗争が激化する。その間、

7.09 米大統領補佐官キッシンジャー訪中
7.15 ニクソン大統領訪中を発表
8.27ドル危機ニクソンショックで、円の変動相場制移行決定
9.13 (後に判明)中国の林彪がクーデターに失敗し死亡
10.25 中国、国連加盟決定、台湾は脱退声明
11.17 臨時国会、沖縄返還協定強硬採決

 さらに1972(昭和47)年に入って、
2.22 ニクソン訪中
4.04 外務省機密漏えい事件、毎日新聞西山記者逮捕
5.15 沖縄返還協定発効、沖縄が日本に復帰
 この間、5月9日佐藤派を割って田中派旗上げ、6月11日田中角栄通産相「日本列島改造」構想発表。福田赳夫後継のためにはもはや猶予を許されない政局の中にあった。

 そして6月17日、佐藤首相、退陣記者会見。
「テレビカメラはどこかね。ぼくは国民に直接話をしたいんだ。新聞になると違うんだ。偏向的な新聞が大嫌いなんだ。帰ってください」。
 翌日の毎日新聞の見出しだけを見ると……。
 ――佐藤首相、退陣を表明。足掛け8年の長期政権に幕。新聞には話さぬ。突然激高。記者ゼロの“会見”。4氏一斉に出馬表明。首相、福田氏“後押し”約束。

 さて、江鬮眞比古(えぐちまひこ)の香港に戻す。

 ――翌18日午後10時、「小組」との会談が再開された。
冒頭、佐藤総理にと言って、1通の手紙が渡された。裏書を見ると周総理からで、佐藤総理があてた「親書」に対する「返書」であった。事態の変更があったので、正書は北京に持ち帰り、副書を佐藤総理にとどけるよう指示があり、私には口頭で、周恩来『返書』の内容が伝達された。

 もちろん内容は、佐藤総理と北京で会い、日中間題について話しあう――というものであった。

7.05 田中角栄自民党総裁に
7.07 田中角栄内閣発足、史上最年少
9.25 田中首相、大平外相訪中
9.29 田中首相訪中、周恩来首相と日中共同声明に調印。国交回復
 
 本書はNHKBS1スペシャル「日中“秘密外交”の全貌~佐藤栄作の秘密交渉」(2017年9月)のディレクター宮川徹志によって同ドキュメンタリーを“増補”した書籍版である。
 佐藤首相の秘書官だった西垣昭(元大蔵省事務次官)の当時の日記、手紙、メモなどをもとに多くの関係者に取材した労作である。

 

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