松岡ひでたか★小津安二郎の俳句 …………上から目線の“小津俳句”評を読んだ後は、高橋治『絢爛たる影絵 小津安二郎』でお口直し
小著は、映画監督小津安二郎が作った俳句について書いたものである。
小津の俳句には、玉に相当するものもあるが、そうでないものも多い。それらを評されるのは、小津にとっては、はなはだしい迷惑であろう。〔…〕
密かに、誰にも知られることなく記し、知られないままに消えてゆくはずのものであった。
ところが、没後、それらを穿(ほじくり)り返された上に評される始末である。
小津にとっては、「余計なお世話」以外のなにものでもないであろう。
――余計なお世話 ―序にかえて―
★小津安二郎の俳句 /松岡ひでたか /2020.03 /河出書房新社
本書は、俳人である著者が、映画監督小津安二郎(1903~1963)俳号・塘眠堂の俳句、について、『全日記小津安二郎』(田中真澄 編纂・1993・フィルムアート社) の1933-35,37,39,54,59-61年に記載されている俳句を網羅し、“鑑賞”したものである。
日記とはいえ、俳句が書かれている日のみの行動が断片的に引用されているだけなので、その背景が見えてこない。小津調のローアングルが俳句の中にあるかなど、映画との関連に言及していない。しかも俳人は当然のことながら、俳句そのものに手厳しい。
たとえば、1934年(32歳)の句に、
行水やほのかに白し蕎麦の花
がある。蕎麦の花(秋)と行水(夏)と季重なり、「中七が甘い」、三句切れになっている、と指摘し「ほのかに白き」とすればいい、と添削までしている。万事がこの調子の“鑑賞”である。
1935年は、小津にとって小田原の清風楼の芸者栄女と出会った重要な年である。3月23日、清風に行った日の句に、
口づけをうつつに知るや春の雨
口づけも夢のなかなり春の雨
がある。ここでは著者は珍しく、こんな解説をしている。
――小津は酒に酔って寝てしまった。彼を愛する女が、そっと、唇だけを合わせて、去って行った。〔…〕それが、現実にあったか、どうか、判定するには心許ない。折りしも、外には雨が降っている。春の雨である。しっとりとした、少し華やぎのある思いに浸っているのである。こんな解は如何であろう。
だが、ここでも著者は正津勉『刹那の恋、永遠の愛』(2003)を引用し、
――正津は「口づけも夢のなかなり春の雨」ほか数句を採り上げて、「この上品でほのぼのとした仕上がり。どこかさきに挙げた名作の1シーンが浮かぶおもむき。小津はなるほど俳句においても小津。いたずらに情感に流れたりしない。清澄で静謐。じゆうぶんに抑制を利かせている」と評している。
その紹介で終わればいいものを、
――ここで、正津は、「いたずらに情感に流れたりしない」と書いているが、「いたずらに情感に流れたりしない」句だけを採り上げているからで、当たり前である。
と減らず口を叩いている。
本書は2012年の私家版が某図書館で河出書房新社編集者の目にとまり、新版として刊行されたもの。附録として「文学覚書」が掲載されている。
――それは、「小津がシンガポールに滞在していた1943年から1946年に書かれたものと推定される」もので、「3冊の手帖」のかたちをとっている。「文学界」2005年2月号の「特集映画の悦楽」に掲載されたもの。
秋風の白粥すゝる峡の宿
セルを着て高目に帯をしめにけり
葩(はなびら)や仏の膝に吹きたまる
葉桜や湯上りの口紅濃くつける
来しかたや萱山の芒昏れのこる
小津の96句と連句が掲載されている。著者は驚くべきことを書いている。日記に掲載された俳句は即席で推敲されておらず未完成、という意味のこと。それでは日記の中の俳句である本書を著者みずから否定することではないか。
――「日記」の作者とは同じ人物のそれであるとは思えないほど充実している。やはり、「日記」は「日記」であったわけである。(本書)
*
*
というわけで、上から目線の“小津俳句”評を読んだ後は、高橋治『絢爛たる影絵 小津安二郎』(1982)でお口直し。
小津の代表作『東京物語』(1953)の助監督だった作家・高橋治は、俳句に関する著書も多い。『絢爛たる影絵 小津安二郎』のなかで、小津の俳句に触れた部分……。
葉鶏頭に古き障子は灯りけり
栄女と出会った頃の小津の句である。宵の遊びは間もなく一転して、にわかに艶を含む。
明けそめし鐘かぞへつゝ二人かな
口づけをうつつに知るや春の雨
この年、十月の日記にこんな一節がある。
…車にて相州に向ふ。〔…〕燈火秋冷酒によし。乱さゞるも酩酊その前後を弁ぜず。
爪斬るや畳にこぼる髪の丈
これこそが小津のイメージだろう。「二人の恋は、凛としてしかも崩れず、旧友の誰もがある祈りをこめて見ていたという」と続く。「栄女はあくまで姿良く、眼が美しく、気性の烈しい頭の冴えた人だといわれる。小津好みなのである」。
――その栄女との間が、いつ、どう平行線を辿るものに変わったのだろう。こんな句がある。
紫陽花にたつきの白き足袋をはく
句の相が驚くほどつきはなした観察に変化している。その様変わりが痛々しくもある。恐らく、一点の汚れもない足袋をはき生計のために出かけて行く栄女に、無理をいって引きとめなかったのは小津の方なのだろう。(同書)
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