武田砂鉄★わかりやすさの罪 …………「すぐわかる!」より自分で考えることを徹底する方が、面白い
そして是枝〔裕和監督〕が続ける。
「僕は意図的に長い文章を書いています。
これは冗談で言っていたんだけど、ツイッターを140字以内ではなく、140字以上でないと送信出来なくすればいいんじゃないか(笑)。
短い言葉で『クソ』とか発信しても、そこからは何も生まれない。文章を長くすれば、もう少し考えて書くんじゃないか。字数って大事なんですよ」 〔…〕
「だって、世の中って分かりやすくないよね。分かりやすく語ることが重要ではない。むしろ、一見分かりやすいことが実は分かりにくいんだ、ということを伝えていかねばならない。僕はそう思っています」
――「8 人心を1分で話すな」
★わかりやすさの罪 /武田砂鉄 /2020.01 /朝日新聞出版
「すぐわかる!」に頼り続けるメディア
納得と共感に溺れる社会で、与えられた選択肢を疑うために。
シンプルな暴言を叫べば時代の寵児になれる社会
これが本書の帯の惹句である。読者になってと誘うには、難解ではないか。タイトルの方がよほど魅力的だ。あえて難しいキャッチコピーで、立ち止まらせようとしているのか。なぜなら「わかりやすさ」至上主義の世間の風潮に違和感を唱えているのが本書だから。
本書は24のチャプターからなるが、以下「8 人心を1分で話すな」のみを取りあげる(熟読したのはこの章のみ。他の章はほとんどスルー)。
まず、NHKの「国内番組基準」の「第1章放送番組一般の基準・第11項 表現」の9項目を紹介し、その1に「わかりやすい表現を用い、正しいことばの普及につとめる」に注目する。
以下、たとえば、新聞やNHKニュースで多用される「……とされる」という表現が、あいまいで解釈に隙間をつくっている、といい、逆にラジオで「確実に差別である」と話したら、SNSに「確実」との断言は言いすぎとコメントが書きこまれた、という話など。
話題は、熊本地震で芸能人をターゲットに「不謹慎狩り」が横行したこと、沖縄タイムスのコラム、小池東京都知事が「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に追悼文の送付をやめたこと、大晦日に放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』での黒塗りメイク、両親から虐待を受け続けて亡くなった5歳の子を取りあげたワイドショー、ベストセラーとなったビジネス書伊藤羊一著『1分で話せ』、梅田悟司著『言葉にできる」は武器になる。』
などなど多数のテレビ、新聞、本からの世間の話題を敏感に取りあげ、わずか8000字の中で、“わかりやすさの罪”を語っている。ほんとうに凄腕だ。
だが著者と対極にいる伊藤羊一『1分で話せ』は言う。
「たくさん話したくなるのは、調べたこと、考えたことを全部伝えたい!、『頑張った!』と思ってほしいという話し手のエゴです。
でも、聞き手は、必要最低限の情報しか、ほしくないのです」
ええっ、話が“エゴ”の方向に行ってしまうのか。もちろん著者は断固として反論する。著者の発言を引用しておこう。
――思考というのは、このように考えなさいという強制だけではなく、考える力をあらかじめ奪うことによっても揺さぶられる。裏側に、逆サイドに、隣に、あるいはまだ吐き出していない心の内に、どういった思考が用意されているか、眠っているかを詮索し続ける必要がある。 (本書)
わかりやすさのために、単純化され、四捨五入され、考えることを放棄させられている。自分で考えることを徹底する方が面白いよ。主旨は、こういうことかな。
ところで、このなかに上掲の是枝監督への朝日新聞のインタビュー記事がある。是枝監督の発言を、孫引きのかたちになるが、コレクションに加えたくて、当方はじつはこの8章だけを熟読した。
ツイッターは、140字以内という制約があって、当方の経験からいえば、結論だけで、その理由や思考のプロセスが省略されている。そのため注意を引く“盛った”140字になりかねない。
との理由で当方はツイッターを好まない。そのツイッター嫌いの当方がじつはツイッターに飲み込まれブログへの誘導のため使っているのだが。
是枝監督の「文章を長くすれば、もう少し考えて書くんじゃないか」には、例外がある。当方や知人のブログが、年とともに長くなっていく。だらだらと続き、字数制限がないため歯止めがきかない。垂れ流しである(本稿がそうである)。たくさん話したくなるのは、断言するが、エゴではなく、老化、劣化のせいである。
話がそれてきた。もっとも著者はまえがきにこう書いている。
――「わかりやすさ」の罪について、わかりやすく書いたつもりだが、結果、わかりにくかったとしても、それは罠でも罪でもなく、そもそもあらゆる物事はそう簡単にわかるものではない、そう思っている。
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