花房観音★京都に女王と呼ばれた作家がいた ………… 山村美紗の死後、“美紗命”の男二人は
山村美紗の死後、肖像画を描き続ける夫の山村巍(たかし)。
山村美紗をモデルにして、ふたりの恋愛を小説にした西村京太郎。〔…〕
もしもそれを愛と呼ぶならば、その愛は、私には狂気にすら思えた。「執着」という言葉が浮かぶ。ひとりの女に対する、男たちの執着は、彼女が亡くなっても彼らを捕らえて離さない。
夫の描く絵、京太郎の小説、どちらからも漂ってくるのは、山村美紗への執着だ。
彼らはまるで山村美紗に取り憑かれているかのようだ。
亡くなったあとも離れない女の念が、絵や小説を描かせたのか。
そう思わずにはいられないほどに、山村巍が描いた美紗の肖像画からは、強い念が漂ってくる。そして小説『女流作家』からは、美紗がどれだけ魅力的で愛されていた女だったかということを残したい、という切々とした想いが伝わってくる。
★京都に女王と呼ばれた作家がいた――山村美紗とふたりの男 /花房観音 /2020.07 /西日本出版社
山村美紗は、京都に住み、京都を舞台にしたトリック重視のミステリーを書き、その作品の多くは2時間ドラマとなり、人気を博したベストセラー作家である
たとえば1994年の“長者番付”では、1赤川次郎、2西村京太郎、3内田康夫、4司馬遼太郎、5山村美紗という順位であり、女性作家のトップだった。文学賞受賞歴なく“無冠の女王”。
本書には154冊の著書リストが掲載されているが、22年間の作家生活で本の売上げは3千万部を超え、100本以上がドラマ化されたという。
じつは当方、1冊も読んだことがない。だが”噂”は知っている。
『文藝春秋』の広告が毎月10日の新聞に出ると、同日発売の『噂の真相』を買いに本屋を覗いた。週刊誌が書かない文壇のスキャンダルが記事になり、山村美紗はしばしば登場した。
とびらに足立三愛のイラストがあり、実在の人物とは関係ありません、という注釈付きで、山村美紗と西村京太郎とおぼしき二人が裸で絡み合っているのもあった。
作品を売るためには、自らもミステリーな存在に、スキャンダルも華のうちと考えたいたようだ。京都東山に移り住んだとき、隣りに引っ越してきた西村京太郎邸とは地下通路でつながっていた、という噂も同誌で知った(夫の巍は目の前のマンションに居住、と本書にある)。
――既に長者番付の作家部門上位にいる京太郎とコンビを組むのは、美紗にとって必要なことだった。京太郎を自分の盾にして、出版社への圧力にする。ふたりで編集者を京都に招き、もてなし、仕事につなげる。
今以上に売れるために、「同志」と隣同士に住む。〔…〕
出版社は、京太郎の原稿をもらうためには、まず美紗のご機嫌をうかがわねばならなかった。だから美紗にも依頼をする。京太郎だけに挨拶をして帰るなんてことは、できない。(本書)
山村美紗は、1996年9月5日、東京帝国ホテルのスイートルームで執筆中に心不全で急死する。65歳(公称では62歳)であった。
当方がもっとも興味があるのは、“美紗命”だった男二人のその後である。
山村 巍(1928~)
1994年に高校の数学教師をやめていた巍は、美紗の死の2年後から画家に師事しデッサン・油絵・人物クロッキーを習い、美紗の肖像を描いた。
2003年に美紗によく似た美術モデルの祥と出会い、2008年に80歳で、その39歳年下の祥と再婚した。2012年、近鉄百貨店上本町店「山村美紗とともに~山村巍と祥」ふたり展を開催。
現在、美紗の絵は描かず、もっぱら猫の絵を描いている。
西村京太郎(1930~)
1996年、美紗の死から3か月後、呪縛から解かれたように京都から湯河原に転居し、そこで10歳下の現在の妻と出会う。
1997年、美紗未完の「在原業平殺人事件」「龍野武者行列殺人事件」を完成させ、共著として刊行。2000年、美紗をモデルにした「女流作家」刊行。2006年に続編「華の棺」を刊行。
2001年、湯河原に西村京太郎記念館を開館。展示に美紗の痕跡はいっさいなし。現在もトラベル・ミステリーを書き続ける。出版社では美紗の話はタブーとなっている。
いかに“ミステリーの女王”といえども、死後、夫が80歳で再婚したり、“愛人”が痕跡をすべて消すとは、想定外であったろう。
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