常井健一★地方選 無風王国の「変人」を追う …………これは宮本常一『忘れられた日本人』の“首長版”ともいうべき傑作ノンフィクション
私は昭夫〔村長〕に役場の中を一通り案内された。
2階にある村長室の近くに「議場」と表札のかかった一室があった。
扉を開けると、がらんどうだった。部屋の中央には安っぽい長机をつなぎ合わせ、「ロ」の字にされていたが、これでは議場というよりも会議室だ。
私がこれまで訪ねた町や村で見てきた、「自治の殿堂」たる議会の重々しい雰囲気とは大きく異なった。 〔…〕
つまり、昭夫にとって村長就任後から18年がたったそのころから現在に至るまで、議会なんてあってないようなもので、数ある会議のうちの一つに過ぎないのだと私は悟った。
村議の1人によると、議会では質疑も一般質問もなく、執行部提案が原案通り可決されて1日で閉会するという。32年間で質問に立った議員はのベ7人しかいない。
――第3章 風にとまどう神代の小島(大分県姫島村長選)
★地方選 無風王国の「変人」を追う 常井健一/ 2020.09 /KADOKAWA
上掲の大分県の“1島1村”姫島村は人口1930人。2016年、61年ぶりに村長選が行われた。
――姫島の村長選は1955年にあった一騎打ちを最後に、16回も無投票が続いた。その間、現職の藤本昭夫(取材当時73)は初当選時からじつに8度も不戦勝。つまり、32年も投票用紙に自分の名前が書かれたことが1度もないまま、島の主の如く村長の椅子に鎮座してきたというわけだ。 (本書)
藤本昭夫、1984年から村長(8選)。その父、熊雄、1960年から村長(7期24年、無風)。つまり親子で56年、“姫島城の城主”村長の座にある。
なお本書が書かれたのち、2020年11月の選挙で藤本昭夫村長は、さらに10選を果たした。
――誰にも注目されないどころか、行われたことすら知られていないマイナーな地方選の現場を1人で自由に見て歩き、住民からの聞き取りや史料の発掘を通して日本政治の奥の奥、そこに映る「にんげん」の本性にまで肉薄しようと試みた。
選挙の民俗学、首長の文化人類学とも言えるだろう。 (本書)
扱われているのは北から、北海道中札内村、同えりも町、青森県大間町、和歌山県北山村、愛媛県松野町、大分県姫島村、佐賀県上峰町の7町村である。いずれも国の“平成の大合併”に抗い、独立独歩の行政を営んできたという共通点があるという。
一か所あたりわずか4日間の旅費15万円までで、これら“僻地”を次々訪ね歩いた。登場人物を江夏豊似、山城新伍似、ニコラス・ケイジ似などと“おっさん臭”まるだしではあるものの、地域や人物の批判や蔑視はいっさいせず、その筆致はあたたかい。
このうち当方はえりも町へは行ったことがある。札幌での会議が終わった後、後輩とレンターカーで、浦河町の谷川牧場に5冠馬シンザンの老後を訪ね、えりも町の旅館で1泊した。本書にも書かれているが、1974年末のNHK紅白歌合戦でトリは島倉千代子と森進一で、ともに「襟裳岬」をうたった。
旅館近くで地元の青年3人がカラオケに興じている薄暗いスナックで酒を飲んだが、「遠慮はいらないから暖まってゆきなよ」とはならなかった。翌日ただただ「襟裳の岬は何もない春です」の海岸沿いを走りながら寒空の下コンブ漁をしている海を見た。しかし「風はひゅるひゅる波はざんぶらこ」の襟裳岬の記憶はまったく欠落している。いまは岬に二人の歌碑が並んでいるそうだ。
そのえりも町は、本書では、元町長が9期、前町長が3期を務めた後の町長選が描かれている。高校大学を野球部のエースとして活躍ののち町役場に入り、58歳で副町長の“ばらまき策”と、妻の実家の水産会社をついだ38歳の最年少サーファー議員の“ふれあい策”との戦いに、態度のデカい副町長を嫌う役場OBたちが参戦する構図である。
本書は休刊した『新潮45』に「こんにちの『田舎選挙』」というタイトルでの連載されたものに、追加の取材と検証を重ね加筆されたもの。
著者は、「選挙の民俗学、首長の文化人類学」と書いているが、これは宮本常一『忘れられた日本人』の“首長版”ともいうべき傑作ノンフィクションである。
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