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2021.01.24

高橋大輔◆剱岳――線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む       …………〈点の記〉から〈線の記〉へ、そして〈もうひとつの点の記〉へ

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 見えてきたのは、剱岳に埋もれた線の物語だった。
 ファーストクライマーを追って剱岳に5度登ったわたしは、埋もれ古道のリアリティをつかんだ。それは伝統的に立山信仰の中心地とされてきた芦峅寺、岩峅寺を起点としない、上市黒川遺跡群や大岩山日石寺から剱岳へと登拝する道だ。古き良き立山の山岳信仰を伝える道である。
ファーストクライマーの5W1Hという点を繋ぎ合わせることで、古代人と山の関係が明らかになった。

 山は古来、日本人が死生観を投影してきた精神的土壌であった。そこに外来の神仏を招き入れて開山し、日本を文明国にすることが平安朝廷の国策であった。


 その担い手は日本全土の奥深い霊山を開いた山伏であった。


 彼らは古代日本を開拓した探検家たちであった。

◆剱岳――線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む /高橋大輔 /2020.08 /朝日新聞出版


 剱岳は立山連峰にある標高2,999 mの文字通り劔のような険しい山。新田次郎『剱岳〈点の記〉』(1977)で有名である。陸軍測量官柴崎芳太郎と山案内人宇治長次郎による“初登頂”を描いた小説。2009年に木村大作監督により映画化され、評判を呼んだ。

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 新田の小説は、弘法大師が草鞋6千足(3千足とも云われている)を費したが登れなかったという“伝説”、修験道の行者の「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」という謎めいた言葉の“虚構”、古代の剣の穂先、錫杖の頭を発見という“事実”をおりまぜ交錯させ、一気に読ませる“山岳”小説である。

 小説のタイトルにある〈点の記〉とは、三角測量の記録で、設置された三角点の名前や所在地、測量年月日、人名のほかその三角点に至る道順、人夫賃、宿泊設備、飲料水等の必要事項を集録したものであり、記録は永久保存資料として国土地理院に保管されている。緯度、経度、標高が正確に計測されており、地図作成などに利用される。

 これに対し、本書の〈線の記〉とは、剱岳ファーストクライマーの謎の5W1H、すなわち、
いつ――山頂に立ったのは何年か
誰が――山頂に錫杖頭と鉄剣を置いたのは誰か
どのように――どのようにして山頂を極めたのか
どの――どのルートから山頂にたどり着いたのか
どこに――山頂のどこに錫杖頭と鉄剣を置いたのか
なぜ――なぜ山頂に立とうとしたのか
 を探す旅、これが“線の記”である。

 最古の遺物、錫杖頭と鉄剣を山頂に残置した者が剱岳のファーストクライマー、初登頂者である。その“線の記”を追えば、目的や実像を明らかにできるのではないか。探検家高橋大輔は、文献と現場への旅を重ね「物語を旅する」人である。

 ――山に登ってみることはもちろん、〔…〕埋もれた地方史や民俗学的資料を発掘し、それらを登山エキスパート、歴史学者、考古学者らの経験や知見、叡智と結びつけ、現場から考えることで謎に迫ってみたいと思った。 (本書)

 本書は「ミステリーに挑む」とあるので、探究のプロセスや結末を紹介できない。ただ2つのルートを整理すると、以下のようになる。

〇立山町起点・別山尾根ルート
 剱岳は地獄の山であり、畏怖すべき存在である。立山信仰の中心地である芦峅寺、岩峅寺を起点とするが、室堂を開き、立山地獄を霊場としたのは天台宗である。
 新田の小説では、立山村の村長は柴崎測量隊に「剱岳は古来、登れない山、登ってはならない山」云々と批判的であった。

〇上市町起点・早月尾根ルート
 水や木草など生命に満ち溢れた早月尾根のある上市町では剱岳が恵みをもたらす神々しい存在。大岩にある日石寺は真言宗の寺。
 新田の小説では、白萩村の村長は「登れない山、登ってはならない山だなどというのは、岩峅寺や芦峅寺を中心とする人たち」、「猟師たちの勘には間違いない。彼らが登れると云えば必ず登れる」と断言する。

「山岳信仰の担い手は天台と真言だけではない。〔…〕忘れ去られた法相宗の山伏の活躍こそが、立山信仰に大きな足跡を残したのだ」と本書は続く。そしてなぜ剱岳に登ったかが解き明かされる。

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 ところで新田次郎は、陸軍測量官柴崎芳太郎と山案内人宇治長次郎の二人の絆を軸にストーリー展開させ、木村大作監督作品では柴崎を浅野忠信、長次郎を香川照之が互いのリスペクトする“相棒”を演じた。

 ところが『もうひとつの剱岳点の記』(2009・山と渓谷社)所収の五十嶋一晃「剱岳岳測量登山の謎――長次郎を巡る疑問」によれば、柴崎測量隊で大きな役割を果たした宇治長次郎は柴崎の残した文章にその名はないという。
 

 長次郎は公的な記録はもちろん、新聞・雑誌の報道、柴崎測量官のメモを含め、どこにも記されていない。それどころか柴崎は「長次郎は知らない。記憶にない」と。このエッセイはその謎を推理したものだ。その結論は、

 ――私はむしろ〈長次郎はかたくなに剱岳の頂上を踏むことを拒んだ。それは自らの信仰と山麓での伝説・口碑の思い込み、および剱岳は隣村・立山村の山であるという慎み深さが、絶対的なものとして頭のなかを支配していた〉と解釈し、剱岳頂上のいくらか手前で足を止めたものと考える。 (同書)

 そして当方は、柴崎が長次郎との“約束”を忠実に守り、「長次郎は知らない」とかたくなに拒み続けたと思いたい。

 

 

 

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