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2021.01.20

浅田次郎◆見果てぬ花                 ………タオルが大好きで、やがて前を隠す話から、「忖度」と「斟酌」の方へ 

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 手拭いなりタオルなりで前を隠すというのは、本来羞恥によるのではなく、見たくもないものを他人様に見せまいとする礼儀である。

 つまり、このごろの日本人は廉恥の心を失ったのみならず、他者の不快感などはてんで斟酌しなくなったと思われる。
 こんなことでは福祉社会など画餅に過ぎず、

あげくにはさきの「斟酌」と同義であるはずの「忖度」という道徳までもが、

まるで犯罪のような狭義に解されるはめになった。


 湯舟に浸かれば視線は腰の高さになるから、歩く人は恥じるのではなく、遠慮して前を隠したのである。〔…〕。
今日世間を騒がせている事件や出来事の多くは、「礼の喪失」で説明がつくと思える。物言わぬタオルはけだし雄弁である。(「タオル大好き♡」)

◆見果てぬ花  浅田次郎 2020.11/小学館


 JAL機内誌『スカイワード』連載の2017年~2020年分を収録。


 なんども訪れた新潟でなんども方向音痴になる「右も左も」、「はん・エビ」こそ傑作だという「にっぽんの洋食」など、全41篇。

 上掲の「忖度・斟酌」のことだが、国語辞典編集者神永暁のブログによれば……。

「忖度」には他人の心を推し量るという意味しかなく、もし、配慮をするという意味まで含んだ語を使いたいのなら、「斟酌(しんしゃく)」のほう。
 ただこの「斟酌」も、本来の意味からどんどん離れて、新しい意味が付け加わっていった語で、「忖度」と非常によく似ている。として、夏目漱石『坊ちゃん』、島崎藤村『破戒』の「斟酌」を引用している。

 しかし浅田次郎が「まるで犯罪のような狭義」に「忖度」が使われるようになったのは、安倍“姑息”、菅“隠蔽”、麻生“野卑”トリオからである。

 以下、考える前にロボットの知識を頼る「考える葦」の一部分を紹介。
*
 ――たとえば、かつて編集者のみなさんと会食中に、お定まりのダイエット談義となり、ついつい話の流れで「デブ」という言葉の語源に及んだことがあった。
 私が“development”の略語説を唱えると、ある編集者は江戸時代の文献にも「でっぷりと肥えた」などの表現はある、と反論した。またある人は、“doublechin”すなわち「二重アゴ」だろうと主張した。さらには、「出不精」を略して「デブ」だという説も現れた。

 議論を戦わすこと数時間、結論は出なかったのだが、たいそう充実したひとときであったと記憶する。もっとも、結論を見る必要はない。想像に満ちた時間は楽しく、なおかつ十数年もの時を経て、本稿の創造にもこうして益するのである。

 しかし、このごろではどうなるかというと、考える間もなく一斉に、ロボットの知識を頼るのである。つまり、考える前に調べてしまう。(「考える葦」)

 

 

 

 

 

 

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