勝目梓◆落葉の記 …………“百科全書”的に老人の日々のできごとを記録する日記小説の傑作
いつからか自分の心の奥底には、得体の知れないぼんやりとした虚ろな気持ちが巣くっていた。それが自分ではっきりわかっていた。
それは77歳になったいまも消滅してはいない。
そいつの正体がなんとはない虚無感や、うっすらとした厭世観だということがわかったのは、40前後になったあたりだったと思う。
要するに生来の気質がネガティヴ一辺倒の人間だということだ。思えばこれまで、何かに熱中したり、躍起になったりしたことがほとんどない。俳句も途中で熱が冷めた。人から見ればつまらない人間に思えるだろうが、そういう質なのだから仕方がないではないか。
――「落葉日記」
◆落葉の記 勝目梓 2020.10 /文藝春秋
勝目梓(1932~2020)。87歳の作家は心筋梗塞で亡くる前日までこの小説を書いていた。絶筆となった長篇「落葉日記」(2015.12~2020.06、同人誌「スぺッキヲ」に連載)と7つの短篇を収めた最後の作品集。エロチシズムにみちたバイオレンス小説などが300冊を超える流行作家だが、晩年『老醜の記』など私小説を書いた。
「落葉日記」は、“自分”が克明に綴った日記である。相澤昇一――元保険会社のサラリーマン。72歳から77歳までの日々。妻・伸子と二人暮らし。家族に長男・裕樹(シンガポールに赴任中)と長女・真由子(夫・木崎章夫とのちに離婚。娘・佳奈子がいる)。
定年後は、ウォーキングと1日10句をノルマとした俳句の日々である。
ときに老人ホームの建設出資者勧誘という詐欺事件に巻き込まれたり、コンビニで万引きをする少女を救ったり、テレビや新聞を見て政治と政治家の劣化と機能不全を嘆いたり、ときどき料理を担当し豚レバー唐揚げや揚げ豆腐と野菜のあえもののレシピを詳細に記したりという日々が綴られる。
・病気
「前立腺がん」を患っているが、手術など積極的な治療を断っている。
――加齢による肉体の老いと衰えを自然のこととして受け入れて、格別の病苦をやわらげること以上の積極的な医療は謝絶し、生命の摂理に従って死を迎えたい、と考えているだけなのだ。 (本書)
また、両脚の大動脈に大きな閉塞があり、放置すれは足から壊死が進むという「下肢大動脈閉塞症」も。
――体は元気なのに歩行が困難で、やがては脚を切断することになるという事態は、やはりゾッとした。 (本書)
・会社OB会
久々にスーツを着て外出するのは、会社の元管理職だけのOB会。リタイアしても、「無意識のうちにかつての序列の影響力に支配されている」。この1年に病没者4名、病気療養中7名という幹事の報告。
元上司の八木さんと部下3名の二次会。奥さんが心筋梗塞で死去した八木さんの愚痴と悲嘆の独演会。
――自分ひとりの力で手に入れた人生の満足が実は女房の献身と忍耐に支えられていたのだということに、76歳になってからはじめて気がついた。〔…〕昼日中でも薄暗がりに包まれている気がする。 (本書)
・近所の人
近所の谷口さんが亡くなった。自殺。大手の広告会社を定年退職して、クラシック音楽と映画を楽しむ悠々自適の優雅な日々のように、外からは見えていた。谷口さんは両脚の大動脈の閉塞を手術して、歩くのか幸いとかで、中年の女の人が押す車椅子に乗っていた。その女性が同棲中の愛人だったということは、後でわかった。その谷口さんがウツ病になり、そのために愛人にもうとまれで独り暮らしとなった揚句の自殺だ。
――老境が人生の決算期なのだとしたら、谷口さんはどんなツケを背負って自殺にまで追い込まれる破目になったのだろうか。 (本書)
・俳句
1日10句をノルマとする俳句作り、あわせて句集など俳句関連書を多読する。膨大な数の自作の俳句が収録されており、自作の反省文も併記されている。
――これと思える作はない。ノルマとして無理矢理ひねり出した句は、自分にも無理矢理の作と映るから虚しい気持ちが残る。
――われながら駄句ばかりと思うものの、これが目下は精一杯。虚仮も一心というではないか。継続は力なりだ。
――ひねりの工夫がない。軽みのセンスがない。惜辞がもたらす余情、余白の興趣がない。何かを解き放てばいいのかもしれないと思うのだが、その何かがわからない。手探りの逆行だが、その手探りが楽しいのだから、どうせ独り遊び、止める気にはなれない。 (本書)
膨大な数の俳句が記録されているが、当方の好みで“老境”の句を10選。
冬ざれや昼間にともす読書灯
三寒が四温とならぬ長湯かな
春昼や憂さなき人らこの指とまれ
七十路なにか疎まん春の宵
点滴の落つるを眺む日永かな
朧なる記憶もつれて定まらず
来し方も黴を生みゆく老爺かな
秋しぐれ散歩の犬も傘の中
秋鯖や雑念を肴の独り酒
冬深し表札の文字うすれおり
ちなみに勝目梓には46人の俳人論『俳句の森を散歩する』(2004)がある。また蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」をモチーフにした短篇ミステリー「死の肖像」があり、蕪村のこの句の解釈の大幅な変更を迫られる。(齋藤慎爾編『俳句殺人事件 巻頭句の女』光文社文庫所収)
・妻の死
――自分と伸子に残されていることは、あとはそれぞれの死という大仕事だけだ。生老病死。この先に自分たちがどんな病気になってどんな最期を迎えるのか、おたがいに予測のしようはない。いずれにしろ、死は大仕事と思われる。 (本書)
ところが妻の突然の交通事故死が襲う。「享年71の、あまりにも呆気がなさすぎる不慮の死」、その後日記は100日余り途絶える。
――〇月〇日(薄曇り)
朝食をすませ、新聞を読んでから墓参りに行ってきた。仏壇の伸子にコーヒーを供えたときに、春の彼岸の墓参りに行っていないことを突然思い出したのだ。伸子が催促してきたのかもしれない。
――ふと思い立ってはじめた回想記が止められなくなった。独り暮らしの暇つぶしにちょうどいい。先のことを考えようにも、そこにはそう遠くないはずの死のことしかないのだし、それについてはいずれじっくり考えるつもりなので、思いは来し方にしか向かうところがない。(本書)
その後、「なんとはない虚無感や、うっすらとした厭世観だ」という上掲の一節を書き、
本書末尾に「――絶筆」とある。
死の前日まで書かれていた『落葉日記』は、高齢夫婦そして一人暮らしの日常のすべてを網羅し、わかりやすい日記体の文章で書かれている。これは時代の暮らしを記録する老人文学の傑作かも。
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