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2021.04.09

柳澤健◆2016年の週刊文春        …………究極の仲間ぼめによる「週刊文春」の60年

 

2016


「雑誌は編集長のものだ、たとえ社長でも口出しはできないと教えられてきたから、自分が編集長になった時には、やりたい放題をやってやろう。ずっとそう思っていました」〔…〕

 もっと昔、たとえば1990年前後の花田紀凱の時代に編集長になっていたら、潤沢な予算の下で、記事やページ作りだけに集中できたから楽しかっただろうな、と新谷[学]は思う。だが、毎号1億円の広告が入り、80万に近い部数を売り上げた時代は遠く過ぎ去っていた。

「ただ、俺は何度も粛清されたけど、牙を抜かれることなく、野放しの状態で突っ走ってきた。


そういう人間が編集長になれるのが文藝春秋。


 結局のところ文春はいい会社、ありがたい会社なんです」

柳澤健◆2016年の週刊文春  2020.12/ 光文社


『1976年のアントニオ猪木』『1964年のジャイアント馬場』などのノンフィクション作家柳澤健は、元文藝春秋社員、「週刊文春」編集部員だった。

 その著者による花田紀凱と新谷学という名物編集長を軸に“百花繚乱”の「週刊文春」編集部の60年を描いたノンフィクション。いまや官邸を右往左往させる1強のジャーナリズム。以下、その新谷学編集長時代を見てみる。

 ノンフィクション作家で元編集部員の西岡研介は、「新谷学は人脈を情報に変えてしまう能力に関しては圧倒的だ」という。

 ――要するに人脈。「新谷くん以外には会わへん、話さへん』というタマを山ほど持っとるわけです。そこまで落とし切っている。人間関係をズブズブにしてしまう力、人に可愛がられる力がとんでもない。(本書)

 その新谷編集長が3カ月の休養を命じられたことがある。「春画入門」という特集で、女性の局部をトリミングして拡大するカラーグラビア。“ヘアヌード”を掲載しないで家に持ち帰れる雑誌のイメージを損なったという判断だった。その昔、池島信平社長から花田紀凱が呼ばれ「ハナダ君、そこまで書かなくちゃいかんのかね」と “フーゾク記事”をやり玉にあげられたという。いわば社風である。

 2016年1月編集部に戻った新谷は、「ウチの最大に強みはやっぱり……」とスクープ路線を敷く。
 
 ――“文春砲”という言葉が、インターネット上で頻繁に使われるようになったのはこの頃から。もともとはAKB48のファンの間で使われていた言葉で、秋元才加、指原莉乃、峯岸みなみらのスキャンダルを『週刊文春』が次々に報じたことから命名されたものだ。〔…〕

 ひとたび文春砲に狙われれば、芸能人は休養し、大臣は辞任し、元プロ野球選手は逮捕され、元少年Aの恐るべき本性が剥き出しにされてしまう。インターネットとスマートフォンが完全に普及したことで、時代遅れの古くさいメディアと若者たちから蔑まれていた週刊誌がこれほどの存在感を放つとは、誰ひとり考えていなかった。(本書)

 文春独走! その理由を加藤晃彦デスクは語る。
 第1に、新聞がインターネットにも記事を配信するようになり、記者たちが忙しくなったこと。有能な記者は独自ネタを追う時間が無くなった。第2に、抗議を受けただけで上からストップがかかるなど、メディア全体が守りに入ってしまった。また、新聞社でもコンプライアンスが厳しくなって、ネタを持っているグレーな取材先とつきあうことができなくなった。

 ――他社が追いかけてこなければ本物のスクープにはなりません。今や僕たちは、どうやって新聞やテレビに追いかけてもらおうか、と考えなければならなくなった。(本書)

 株式会社文藝春秋を牽引してきた月刊文藝春秋の読者層は60代。いまは中心的な役割を担っている週刊文春だが、読者層は40、50代で高齢化している。そこで、30代以下の読者を『文春オンライン』が狙う。スマホによって時間、量、世代の3つの壁を超え、株式会社文藝春秋のプラットフォームになろうとしている。

 ――文藝春秋は不思議な会社だ。
 社を去ってもなお、文藝春秋を愛し続ける。
 花田紀凱はもちろん、「こんなクソみたいな会社」と吐き捨てて社を去った勝谷誠彦さえ、古巣への郷愁を私に隠さなかった。
 立花隆は後輩たちを見守り、励まし続けた。桐島洋子も「文春にいた頃が一番楽しかった」と。〔…〕

 田中健五も半藤一利も岡崎満義も斎藤禎も松井清人も西川満史も木俣正剛も同じだ。そして、おそらくは菊池寛も佐佐木茂素も池島信平も白石勝も設楽敦生もそうだったのだろう。(本書)

 記憶に残る事件を取材エピソードをまじえ綴ったクロニクルだが、当然物語のようにヤマ場があるわけではないが、しかし最後まで退屈させない。500ページを超える大冊、全編これ究極の編集者同士の仲間ぼめ本である。さすがに自社からの出版は控えたのだろう。

 

 

 

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