船橋洋一◆フクシマ戦記 1 0年後の「カウントダウン・メルトダウン」…………傑作「カウントダウン・メルトダウン」の改訂増補版
放射能と同じくウイルスも目に見えない脅威であり、国民の恐怖感は強い。パニックも起こりやすい。危機コミュニケーションは難しい。
そして、官邸(政治家)と専門家会議(科学・技術助言者) の協同作業が欠かせない。ただ、その間係は徴妙である。〔…〕
ただ、専門家会議は、感染拡大抑止という国民の「安全」を最重要の政策目標とし、それぞれの判断を科学的根拠をもって説明できるかどうかを重視している。一方、官邸は、国民の「安全」に加えて「安心」を求める。〔…〕
それは、「安全」と「安心」のどちらにどの程度重点を置くかのバランスの問題でもあるが、「小さな安心を優先させ、大きな安全を犠牲にする」福島原発事故で見られた安全規制体制と同質の「安心」に傾斜したリスク観と政治文化がここには横たわっているだろう。
◆フクシマ戦記 1 0年後の「カウントダウン・メルトダウン」上・下 船橋洋一 /2021.2 /文藝春秋
2011年3月11日。東日本大震災、福島第一原発事故が起こった。
3月末、政府が事故調査委貝会を設置するが、政府から、電力業界から、政治から、さらには原子力ムラから独立した民間の調査委員によって調査、検証するべきだ、と著者は仲間たちとシンクタンクを設立し、“民間事故調”を立ち上げた。その後、闘った人々の個々のストーリーに興味を抱き、一記者に戻って取材した。こうして2013年1月に『カウントダウン・メルトダウン』は出版された。
同書は、特定の個人への思い入れがなく、冷静に客観的に、淡々と、しかし人々の熱き思いや行動をスリリングに記述した第1級のノンフィクションである。数ある3.11フクシマ本のなかの最大の収穫。新刊にして、すでに古典、といっていい。当方は自らのブログでその年の傑作ノンフィクション・ベスト1に選んだ。
当時、民間事故調の調査・検証や独自取材では、東京電力の協力が得られず、現場で格闘した個々人の話が聞けなかった。その後、貴重な資料や各種の報年告書が世に出た。
たとえば、東京電力「福島原子力事故の総括および原子力安全改革プラン」(2013)。日本原子力学会事故調最終報告書(2014)。政府事故調事務局「聴取結果書」いわゆる「吉田調書」(2014)など。
本書『フクシマ戦記』は1 0年後の「カウントダウン・メルトダウン」とサブタイトルある。その後の新たな取材の過程で得た新事実や新発見を前に、骨格を大幅に再構成し、書き直したもの。前著『カウントダウン・メルトダウン』の“改訂増補版”である。新旧両著の逐条比較をしたいところだが、それは後の楽しみとして、……。
2020年春コロナ感染症危機が起こる。フクシマとcovid-19は、一方は福島という地方、他方は地球規模だが、共に目に見えないのものとの戦いである。著者はフクシマ同様、コロナ対応民間臨調を設立。ここでは本書の「あとがき」から引用しておきたい。
――フクシマとコロナの2つの危機は私たちに同じことを告げていると私は感じる。〔…〕
いずれも日本が「備え」が著しく弱かった点は共通している。
それも、不意を衝かれたのではない。ブラック・スウォンの奇襲を受けたのでもない。いずれの場合も、ありうるシナリオとして指摘され、警告も出され、政府は問題の所在を認識していた。にもかかわらずに、備えを怠った。 (本書)
新型コロナ危機に対して、司令塔の立ち上げにもたつき、PCR検査は目詰まりを起こし、政府と知事は権限と責任のさやあてが続いた。問題の多くは2009年の新型インフルエンザ時に指摘されていたことの繰り返しである。
そして、上掲の通り官邸と専門家会議の関係は徴妙である。安倍官邸は専門家会議に諮らずマスク2枚を国民に配布し、全国一斉休校を実行し、人と人との接触機会を「最低7割、極力8割」にゆるめ、専門家の提案を時に無視し、都合のいいように切り取った。
のちの菅官邸も、逆走するようにGoToトラベル政策を進め、国民的合意が生まれていない東京オリンピックのスケジュールにあわせる対策という前のめりである。
フクシマ“敗戦”につづきコロナ“敗戦”となるのか。上掲の言葉を再びかかげる。
――「小さな安心を優先させ、大きな安全を犠牲にする」福島原発事故で見られた安全規制体制と同質の「安心」に傾斜したリスク観と政治文化がここには横たわっているだろう。
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