佐久間文子◆ツボちゃんの話 夫・坪内祐三 …………「ゴシップ的感受性」の人
亀和田〔武〕さんとは、たまに長電話をして、最近読んで面白かった本や雑誌の記事、テレビや音楽などのよもやま話をしながら、
たがいの「ゴシップ的感受性」に磨きをかけていた。
彼が亡くなって弔問に来られた亀和田さんが、「昔、新宿の酒場でツボちゃんと話しこんでたら、北島(敬三)さんに、『おまえら固有名詞の話ばっかりしやがって』って怒られたことがあったんだよな」と思い出して言われたのがおかしかった。〔…〕
雑誌に掲載される集合写真のキャプションで、「一人おいて」と飛ばされる人がいる。作家の場合だとたいていは編集者や無名の書き手で、そういう「一人おいて」とされるような人の隠された仕事のようなものに彼らの関心は向きがちだった。
佐久間文子◆ツボちゃんの話 夫・坪内祐三 2021.5/新潮社
坪内祐三(1958~2020)急逝から1年半、早くも(元新聞記者の習性ゆえか)“妻が綴る坪内祐三”が刊行された(急逝のてんまつを知人、関係者に報告すべきという理由から“早くも”になったと思われる。
文学賞受賞パーティにこまめに参加し、文壇ゴシップを収集したり、まき散らしていた坪内は、上掲にように“ゴシップ的感受性”を磨き、コラムを書き散らしていた(ゴシップ好きの当方はそれゆえ愛読した)。
そういえば当方が手元に置いている『一九七二』、『靖国』にしろ、また『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』にしろ、坪内の代表作は“ゴシップ的感受性”に基づいた作品であることに気づいた。
――昭和33年前後生まれのもの書きでは、大塚英志、岡田斗司夫、宮台真司、みうらじゆん、山田五郎といった人の名前が頭に浮かぶ。「おたく」の名付け親とされる中森明夫さんが昭和35年生まれだ。
「おたく第一世代」の経験や記憶を共有していることは認めつつ、ツボちゃんは、自分はおたくではないと、くりかえし口にしていた。(本書)
いやいや、おたくでしょう。古雑誌の収集など、執筆用の資料であるだけでなく、その癖の強さはどうみてもおたくである。
そのうえ、「駅の改札は左から奇数番目から入る」、「電信柱の影は左足で踏み越える」、「日刊スポーツを家に持ち込んではいけない」などさまざまなジンクスがあったという。
深く付き合うほどにしんどくめんどくさくなるし、マザコンのようでもあるし、……「あとがき」の以下のフレーズが妻の本心であるように思われる。
――愛されるだけでなく憎まれることもあり、途中で去ってしまったひともいるけど、そうした関係も含めて、彼とつきあう大変さを少しずつ分担してくれるひとが大勢いてくれたおかげで、かろうじて私は最後までもちこたえられた。通夜と葬儀の日に、彼の死を悼んでくださる長い列を見ながら、そう思った。(本書)
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