児玉博◆堤清二 罪と業――最後の「告白」 …………三島由紀夫「楯の会」制服をめぐる二つの話
自決当日、番組出演を終えた清二は、東京・大田区にあった三島の自宅を訪ねた。
過剰とも言えるデコレーションを施したロココ様式の白い館の外には、数多くの新聞記者たちが集まり、テレビ局の照明が煌々と照っていた。
館の中にも編集者をはじめ三島縁の者がかなり集まっていた。誰もが状況を慮り、うつむき加減に声を潜めていた。
ところが清二があるテーブルに座ると、同じ席に三島の父、平岡梓が座り話しかけてきた。
「御尊父がね、座るや、誰に対して言う訳でもなくというか、もちろん僕に対してなんだけれど、小さな声で言うんですよ。
『あんたのところであんな制服を作るから倅は死んでしまった』って。
これには参ってしまってね、返事のしょうもないんだ。だから取り繕うように『済みませんでした』と言ったきり言葉が続かなかった。
児玉博◆堤清二 罪と業――最後の「告白」 2021.06/文春文庫 2016.07/文藝春秋
著者による長時間のインタビューをもとにした本書は、以下のように綴られ閉じられる。
――人生の最晩年に清二の口から語られた物語は、堤家崩壊の歴史であると同時に、家族の愛憎の歴史であり、辻井喬ではない堤清二による、もう一つの「父の肖像」でもあった。
堤家の筆頭継承者の最後の肉声は、どうしようもない定めに向き合わねばならなかった堤家の人たちの物語であり、悲しい怨念と執着と愛の物語だった。清二がそれを自覚していたのかどうか、確かめる機会はついになかった。
だが」当方は、堤清二と異母弟堤義明との経営をめぐる確執やそれぞれの母と父康次郎との愛憎には全く興味がない。
ゴシップ好きの当方の本書でのコレクション。ゴシップ(噂話)というよりエピソード(挿話)というべきか。
上掲は自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した三島由紀夫のその日1970年11月25日のできごとである。これにはよく知られた前段がある。本書で堤清二が語る。
――「楯の会の制服は西武百貨店で拵えたんですよ。良いデザインを探していた三島さんから連絡があり、『フランスのドゴール(大統領)の軍服のデザインが良いから、誰がデザイナーか調べてくれ』と連絡があったんです」
当時、西武百貨店のヨーロッパ駐在部長としてパリに滞在していたのが、妹の邦子だった。問い合わせた邦子からの答えに、清二は驚いた。ドゴールの軍服をデザインしたのは日本人で、しかも西武百貨店に在籍しているという返事だったからだ。
「こちらも何か三島さんの役に立ちたいと思っていたから、急いで連絡しましたら、三島さんも大変よろこんでくれてね。電話の向こうで『灯台下暗し』と言って、豪快に笑っていた」
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