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2021.09.16

後藤正治◆拠るべなき時代に         …………あらゆる情報が安易に入手し得る反作用として、思考することが痩せ細ってしまった

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 ネット社会が進行して、メディアはいま「フェイク(にせもの) の時代」を迎えている。

 フェイクのレベルもさまざまで、パソコンを開くと、明らかな詐欺商法からもっともらしい歴史修正主義のプロパガンダまで、毒花が乱れ咲いている。共通項は、発信者の匿名性である。

 しょせん、フェイク情報は時間をもちこたえることはできないものであって、それ自体はほっておけばいいのだろうが、被害を受ける人もいるので厄介だ。

 それにしても、モノを考える習慣さえあれば、フェイクの落とし穴に落ち込むことも避けられようにと思う。

 あらゆる情報が、タダで、あまりにも安易に入手し得る反作用として、思考することが痩せ細ってしまったのだろうか。
「知」の根幹を成すものは、情報ではなくて考えることのはずだ。

ときにふと立ち止まって、自分のアタマで考えてみること――。

 

◆拠るべなき時代に  後藤正治/2021.05/ブレーンセンター


 ここ数年に書かれた時評、短い人物論、文庫の解説、書評などを収録した6冊目のエッセイ集。

「司馬遼太郎(1)創造と想像」は、当方も聴きに行った2015年8月、姫路文学館主催の司馬遼太郎メモリアル・デー講演会の氏の講演をまとめたもの。

 当方は、後藤正治の人物ノンフィクションを愛読している。神戸の無名の画家(?)石井一男を描いた『奇蹟の画家』(2009)、『清冽――詩人茨木のり子の肖像』(2010)、『天人――深代惇郎と新聞の時代』(2014)、『拗ね者たらん 本田靖春 人と作品』(2018)など。

 講演でも、氏の柔らかい思考と優しい眼差しの著作と同様の話しぶりだった。
「創造(クリエイト)と想像(イマジン)の織りなす妙が司馬作品の真髄」という話。

 ――官兵衛について、『播磨灘物語』のあとがきで司馬さんはこう書いています。
《官兵衛はなるほど生涯、時代の点景にすぎなかった》
 官兵衛は、信長・秀吉・家康の天下取りという大きな時代の流れのなかでいえば小さな点景にすぎないという意味ですが、文章はこう続きます。
《しかしその意味でえもいえぬおかしみを感じさせる。友人にもつなら、こういう男を持ちたい》
司馬さんの人間観がとてもよく出た一文ですね。 (本書)

 姫路で聴いた、姫路に家系をもつ司馬遼太郎の話。播州姫路が舞台のひとつの『播磨灘物語』の黒田官兵衛。ずっと昔に読んだが、帰りに文庫本を買い、再読した。

 上掲の“フェイク”についてのエッセイは、古稀前後の世代(氏は1946年生まれ)のスマホ時代を嘆いた「アナログ世代の嘆き」のタイトルで、2017年9月に書かれたもの。

 詐欺商法から歴史修正主義のプロパガンダまでと匿名フェイクのことをやり玉にあげているが、さらに悪質な“姑息・安倍、隠蔽・菅、野卑・麻生”の虚偽答弁や改ざん、隠蔽工作など“フェイク官邸”については、氏は筆をとらない。“暴く”というイメージのノンフィクションとは正反対に位置する氏が扱うのはリスペクトしている人物に限られる。

 

 

 

 

 

 

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