「新潮」編集部:編◆パンデミック日記 …………小説家たちはコロナ禍の2020年もそれ以前と変わらないフツーの日々
島田雅彦(小説家)
6月27日(土)
今は戦時下なのだと思う。メンタルをやられる人や自殺者も増えるのは間違いない。
私は連載小説というルーチンには救われている。
谷崎も戦時中は『細雪』の執筆と『源氏物語』の現代語訳で時間を潰し、時局に迎合せずに済んだ。
◆パンデミック日記 「新潮」編集部:編/2021.06/新潮社
「コロナ禍に襲われた2020年を表現者52人はいかに生きたのか?」と帯のコピー。
激動の1年52週を52人(ほとんどが小説家)によるリレー日記。
一読し驚いたには作家たちが書き留めた“個人的体験”は、ほとんどといっていいほど新型コロナウイルスの記述がなく、コロナ以前と変わりないようなフツーの日々である。
以前読んだ左右社編集部『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』(2020.06)の多くの職種の人々(内科医、女子プロレスラー、葬儀社スタッフ、薬剤師、運送会社配達員、留学生、校長など)のコロナ体験のリアルな肉声のような日記と大違い。
小説家とはなんと優雅な生活をしている人たちだろう。まともにコロナと“対面”しているのは石原慎太郎のみである。
当方の好きな作家たちの動向やいかに、以下、抜き書き……。
筒井康隆(小説家)
1月6日(月)
本来は今日上京する筈だったのだが、燃えるゴミを出すのが明日なので一日延ばすことにした。年末は最終のゴミ出しが27日であり、年明けが7日。10日もゴミを取りに来ないと言うのはひどい。臭うてならんわい。
1月7日(火)
新神戸駅へ。もはや駅構内もプラットホームもがらんとしている。八重洲口のタクシー乗場だけはいつも通りの混雑。バスが何台か連なって来ると列が動かない。なんとかならぬものか。このままではオリパラでえらいことになるぞ。
町田康(小説家・ミュージシャン)
3月4日(水)
午前は新潮に連載中の「漂流」という題の小説を書いた。三枚かそれくらいのことだ。たいそにゆな。えらいすんまへん。
3月5日(木)
午前中は「漂流」という題の小説を書いた。残飯を食した。「ベスト・エッセイ」の候補作を読んだ。毎日同ンなじことやっとんな。あほやな。はっきり言うて。あほやな。
3月6日(金)
東京新聞に載る予定の短編小説を書いた。こんなものは一気呵成に書いた方がよいが途中で米を研いで気が抜けた。
3月9日(月)
東京新聞の短編小説を書き終えた。いつまでかかっとんねん。愚図か。えらいすんまへん。
石原慎太郎(小説家)
4月8日(水)
コロナウィルスの蔓延で、昨夕、緊急事態重言が発せられた。地球と人類の終末を予感させるこの事態の到来は、物書きとしての人間に稀有なる体験を強いてくれる。
私は改めて30年前に東京で聞いたあの天才宇宙学者ホーキングの予言を思い出す。この地球のような文明を備えた天体は宇宙に他に二百万ほどあるが、それらの星は自然の循環が狂い宇宙時間では瞬間的に消滅すると。そしてその瞬間とはおよそ百年間だと。あれから既に30年、温暖化は切りなく進み、そして今未知のウィルスが人間の生命を奪い出した。
4月9日(木)
物書きとしての好奇心からすれば絶好の立場に立たされているともいえようが私自身が消滅するならばそれも無意味な事だろうに。
津村記久子(小説家)
8月27日(木)
引っ越すので、長岡京市に物件の見学に行く。〔…〕家は県境で探している。どうせ引っ越すなら大阪を出て行きたいけれども、今の家より不便になりすぎるのも困る、というのが理由。
実家を出るのは、単純にウイルス感染拡大で苛つく家族に疎まれることがあり、こちらも信頼できなくなったからだ。
大阪を出るのは、当分はあの党の政治運営に自分の税金を使って欲しくないと思ったからだ。まさか42歳になって政治が理由で移住するとは思っていなかった。
平野啓一郎(小説家)
11月26日(木)
夕方、コロナ危機についての首相の記者会見。質問を受けつけず、逃げるように去って行く姿を見ながら、書くのも憚れる言葉ばかりが思い浮かぶ。
政府は無策なので、感染は広がる一方だろう。気が滅入る。
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