« 岸田奈美◆もうあかんわ日記         …………奈美さんと良太さんみたいな姉弟のあり方って、めずらしいと思うんです。いつからそうなんですか? | トップページ | 池澤夏樹:編◆わたしのなつかしい一冊  …………津村記久子が選んだ『さむけ』の見事な書評 »

2021.10.10

丸谷才一◆腹を抱へる 丸谷才一エッセイ傑作選1      …………芭蕉三題――、文月六日、蛸壺、丸やギ左衛門のこと

201501


  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日  俵万智

 それにサラダはいかにも若い女の子にふさはしい。少女たちは痩せたい一心でサラダしか口にしないし、それでサラダ専門の料理屋が大繁昌、なんて伝説が出来てゐるからだ。もちろんこれに加ふるに、サラダのみづみづしさが少女たちを連想させるといふこともあるけれど。さういふいろいろな事情を一瞬のうちに集約するのが、「サラダ記念日」といふ言葉なんです。

 が、その日は七月六日で、七月七日の前日である。七月七日は言ふまでもなく七夕で、この夜、牽牛、織女の二星が逢ふ。〔…〕

  文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉

 で、われわれはこの一句と例の「荒海や佐渡に横たふ天の川」とが並んでゐるところを、教科書に引いてある『奥の細道』で教はるから、

 

文月つまり旧暦七月は六日からすでに色っぽいといふのは日本人の基本的教養であった。

 

万智さんはもちろんこれを知ってゐて、この文学的伝統に動かされ、若い男女を七月六日に、つい逢はせてしまったのですね。

 これをもつと深く探れば、文月は秋の最初の月で、そして秋は古代の日本においては男女相媾(あ)ふ季節であったといふ事情がある。

 

  ――「七月六日のこと」

 

◆腹を抱へる 丸谷才一エッセイ傑作選1  丸谷才一/2015.01/文藝春秋


 コロナ禍の図書館は気忙しい。マスクは必須、手を消毒するのは当然のことであるが、ビニールのカーテンが下りたカウンター、座席も1席ごとに×印。だがそれでもありがたい。

 図書館が親子が訪れる場から孤独な高齢者の場に入れ替わったのはいつごろからだろう。ネットで古いドラマ、「シカゴ・メッド」を見ていて、そのシーズン2・エピソード23に「愛は人を傷つけるが、孤独は人を殺す」というセリフがあった。

 ついつい曇りがちの日々だが、にやにやするような楽しい本を文庫本コーナーで探し当てた。『腹を抱へる 丸谷才一エッセイ傑作選1』である。当方はこの小説家のエッセイ集が大の好みでほとんど読んでいる。亡くなって10年近くなるが、その後丸谷に代わるゴシップ満載本が見つからない。

 本書ではこんな話。
 アメリカ人は大統領選挙の時期になると大統領候補夫人の品さだめをする。A候補夫人は肥りすぎ、B候補夫人は名門の出と聞くけれどどうも品がない、などと口角泡をとばしで論ずるという。

 ――そしてこの、全国民的討議の結果、大統領夫人としては誰がいいかといふことが決められる。その結果、付随的に、あるいは自動的に、彼女の亭主が大統領といふことになる。(「男の運勢」)

 ……とまず大庭みな子説が紹介される。1977年に書かれたもの。カーター大統領の時代ですね。これが落語で言えばマクラの部分(丸谷のゴシップ話はイントロが絶妙で、サゲはいまいち)。

 

 それはさておき、本書では芭蕉の話題が三つ。

その1。「七月六日のこと」

 上掲の続きで、著者は「古代以来、日本の普通の詩人たちは、恋の季節としての秋を七夕にまとめて表現し、そして芭蕉と万智さんはそれを一日ずらして、七月六日にまとめて表現した、と言へるかもしれない。ちょっと早めたところが粋ですね」と。

 ところで、『芭蕉めざめる』(2008)の著者光田和伸氏の芭蕉連続講座を受講したとき、

  文月や六日も常の夜に似ず
  荒海や佐渡に横たふ天の河
 のところでは、「佐渡に」であって「佐渡へ」ではない(本土と佐渡の間に横たわっているのではない)とか、8月21日夜8時の佐渡島で見えた「星座図」(織姫星、彦星、月の舟の位置を示す)のカラーコピーを頂戴したり、織姫沐浴の水(芋の葉の露)で墨をすって短冊に願い事を書くとか、実際の7日は「夜中、風雨甚」だったとか、さらには、イザベラ・バードの行程と芭蕉の行程が一致している話など、話題満載だったが、さすがに「サラダ記念日」の話は出なかった。

 

Photo_20211010145901

 

その2。「蛸と器」


 ――蛸壷やはかなき夢を夏の月
 といふ芭蕉の句がある。詞書は「明石夜泊」 。本当のことを言ふと、芭蕉は明石に泊らなかったさうですが、そんなこと、どうでもいいぢやないか。
 この句、好きですね。夢も夏の月も蛸も、わたしの好物。殊に明石の蛸はうまいねえ。

 これもマクラの部分。ちなみにこの句碑は明石の天文科学館のそばにある。

 

その3。「丸やギ左衛門のこと」

 著者の父は山形県大山の味噌醤油問屋丸屋の三男、父の長兄は丸屋の家運を盛り返した丸谷才兵衛。

 ――ところが数年前、曾良の『奥の細道随行日記』をはじめて読んでびっくりした。ひょっとすると芭蕉と曾良は、『奥の細道』の旅のときにわたしの先祖の家に泊ったのかもしれぬ、と考へたからである。そのくだりを引用すれば――

廿五日 吉。酒田立。〔…〕未ノ尅、大山ニ着。状添テ丸や義左衛門方ニ宿。夜雨降。

大山の味噌醤油問屋、丸屋が、この芭蕉の宿の丸やの子孫であるといふ見込みはかなりあると思はれた。

 そこで丸谷は、芭蕉の「奥の細道」の「酒田」の項に、鶴岡の城下で長山重行という武士の家で俳諧一巻を巻き、酒田の湊を下り淵庵不玉という医師の家に泊まるという記述があることに触れる。

 ――芭蕉は出立のときに受け取った餞別の額によって、『奥の細道』に名前を出したり出さなかったりしたのではないか。きつと丸や義左衛門は、餞別をあんまりはずまなかったのであらう。

 

 

 

 

 

|

« 岸田奈美◆もうあかんわ日記         …………奈美さんと良太さんみたいな姉弟のあり方って、めずらしいと思うんです。いつからそうなんですか? | トップページ | 池澤夏樹:編◆わたしのなつかしい一冊  …………津村記久子が選んだ『さむけ』の見事な書評 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 岸田奈美◆もうあかんわ日記         …………奈美さんと良太さんみたいな姉弟のあり方って、めずらしいと思うんです。いつからそうなんですか? | トップページ | 池澤夏樹:編◆わたしのなつかしい一冊  …………津村記久子が選んだ『さむけ』の見事な書評 »