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2021.10.13

池澤夏樹:編◆わたしのなつかしい一冊  …………津村記久子が選んだ『さむけ』の見事な書評

202108


津村記久子・選
『さむけ』ロス・マクドナルド=著 小笠原豊樹=訳

  新婚の若い男が、妻がいなくなってしまったので探してほしいと探偵に頼みにくる。再放送の二時間ドラマや何かの冒頭によくありそうな発端は陳腐ですらある。

 それが巡り巡って最後には、ミステリーの歴史に残る結末の一文に辿り着く。個人的には、自分が読んできたあらゆる小説の中でも最強と言っていい幕切れだと思う。〔…〕

 何度読んでも、結末では、本当に遠くまで来た、という感慨を持つ。

 その場にいながらにして読者を遠くまで連れていくということが小説の役割の一つなら、これほどそれを強く感じさせる作品もないだろう。

 長い期間にわたって断続的に起こる殺人の根源にある苛烈な欲望は、思い出すだけで寒々しい気分になる人間の罪悪の姿を読者の心に刻みつける。知らない方が気楽かもしれない。


 しかし、小説を読むからには、人間のことを知りたいと思うからには、この終わりを読めることこそが幸福なのだと言い切りたい。

 

◆わたしのなつかしい一冊 池澤夏樹:編 寄藤文平:絵/2021.08/毎日新聞出版


 毎日新聞の書評欄にある「なつかしい一冊」というコラム50篇を集めたもの。

 ――本当によい読書の記憶は「昔」の中にある。若い時に読んだものほど心の深層に定位していて、折に触れて浮上してくる。そういう体験を語ってもらいたい。

 とこのコラムを提案した池澤夏樹の弁。

 執筆者たちは青少年時代に読んだ「なつかしい本」について語るが、それは自らのなつかしい時代を振り返ること。個人の思い出話は、この1000字程度の短さで付き合うのがちょうど良い。

 その「なつかしい本」について、「この1行が記憶に残っている」というもの、「この本が人生を変えた」というもの、また「ずばり内容を要約」したもの、などに分類される。

 その「内容要約」で、当方がこれから読むつもりのもの。

◇永江朗(1958~)・選
『自動車の社会的費用』宇沢弘文=著

 ――はじめて読んだのは20歳の夏だった。アルバイト先の先輩から強くすすめられたのだ。徹夜して読んで、こういう考え方があるのかと驚いた。ものの見方が変わる快感で嬉しくなると同時に、世の中のひどさに気づいて腹が立った。


 難しい経済学の話も出てくるが、書かれていることはシンプルだ。自動車に必要な費用は車両代とガソリン代だけではない。道路を作って維持するのにもお金がかかっているし、交通事故や大気汚染などの公害、環境破壊などで失われるものも多い。ところがそれらの費用のほとんどは、自動車の持ち主ではなく第三者が負担している。大雑把にいうと、こういうことだ。(本書)

◇田中里沙(1966~)・選
『アイデアのつくり方』ジェームス・W・ヤング=著

 ――本の帯には「60分で読めるけれど、一生あなたを離さない本」と書かれていた。メッセージは極めて明快で簡潔だ。

「アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせである」。広告業界で活躍をした著者のヤングが、実務を重ねて編み出した真理。方法論や技術として、これを超えるものはないのだと思う。(本書)

 

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◇津村記久子(1978~)・選
『さむけ』ロス・マクドナルド=著 小笠原豊樹=訳

 上掲で紹介したが、わずか1000字ほどなので全文を示したいほどだ。書評、ブックガイドのたぐいでこれほど「読みたい」と思わせる魅力的な紹介に出くわしたことがない。ほんとにすぐにも読みたい(大昔の1972年出版時に読んだのだが、すべて忘れている)。

 当時、手元から離せなかった本に福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩――ミステリの楽しみ』(1963年・ハヤカワ・ライブラリ)がある(いまも手元に)。EQMMに連載されたエッセイをまとめたもの。これによりレイモンド・チャンドラー、エド・マクベイン、W・P・マッギヴァーン、そして、ロス・マクドナルドを読む楽しさ知った。

 中村真一郎はロス・マクドナルドの『さむけ』と同じリュー・アーチャーものの『ギャルトン事件』について、こう書く。

 ――しばしば作者の文章は、哲学的になる。ということは、情景なり人物なりの背後にある人生そのものに対する作者の抽象的な思考が、短い警句的表現となって現れるということである。

 さて当方が「わたしのなつかしい一冊」を挙げるとすれば、この『深夜の散歩』ではなく、またリュー・アーチャーものでもなく、同書で福永武彦が紹介しているW・P・マッギヴァーン『最悪のとき』である。

 

 

 

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