河野啓◆デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 …………登れるはずのない最難関のルートを選んだ理由は?
栗城史多(くりきのぶかず)さん。
「夢」という言葉が大好きだった登山家。〔…〕
山を劇場に変えたエンターテイナー。
不況のさなかに億を超える遠征資金を集めるビジネスマンでもあった。
しかし彼がセールスした商品は、彼自身だった。
その商品には、若干の瑕疵があり、誇大広告を伴い、残酷なまでの賞味期限があった。
彼はなぜ凍傷で指を失ったあともエベレストに挑み続けたのか?
最後の挑戦に、登れるはずのない最難関のルートを選んだ理由は何だったのか?
◆デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 /河野啓/2020.11/集英社
著者河野啓(1963~)は、2008年から約2年、栗城史多を取材した北海道放送ディレクター。栗城の死後、あらためて取材したのが本書。以前読んだ著作に『北緯43度の雪――もうひとつの中国とオリンピック』(2012)がある。
栗城史多(1982~2018)は、「七大陸最高峰、単独無酸素登頂」を“売り”にした登山家。2010年から「冒険の共有」をテーマにエベレストに8度挑戦。2012年の4度目の挑戦時の凍傷により右手親指以外の指9本を第二関節まで切断。
2018年の8度目となるエベレスト登山時に体調を崩して登頂を断念。下山中に滑落死した。35歳没。
インターネット生中継など“劇場型登山”で知られ、またNHKスペシャルなどで各種テレビ番組で有名な存在だった。
そういえばいえばお笑いタレントのイモトアヤコ(1986~)がテレビ番組でキリマンジャロ(2009)、モンブラン(2010)、マッターホルン(2012)、マナスル(2013)など次々に登頂し、2014年にはエベレストを標高4900m辺りで登頂断念したものの、その後デナリ(2015)、アイガー(2016)登頂を果たし、脚光を浴びた時期と重なるのである。
エベレスト登頂を目指す登山者で混雑する山頂付近。ネパールの登山家ニルマル・プルジャ氏がインスタグラムに投稿した。この画像は瞬く間に拡散し、エベレストの渋滞論争に火がついた。(PHOTOGRAPH BY @NIMSDAI PROJECT POSSIBLE)
エベレスト登頂の話題といえば、ネットで「エベレスト山頂付近で登山者たちの長蛇の列ができている」というキャプションつきの写真を見て驚いた(2019年5月27日BBCニュース)。まさに“蜜”である。
長蛇の列のエベレストの中で、目立つには? イモトに負けないエンターテイメントである以上、世界一高い所で流しそうめんやカラオケ。いやいや登山家として、単独、無酸素でなければならない。
「最後の挑戦に、登れるはずのない最難関のルートを選んだ理由は何だったのか?」と著者は問う。
夢枕獲の小説『神々の山嶺』(映画『エヴエレスト 神々の山嶺』の原作)が描くエベレスト「南西壁」の冬季単独無酸素登頂を、“生”でやろうとしたとかしか言いようがない。
――栗城さんの登山は無酸素ではなかった。
だが、彼の人生は、天を突くエベレストの真っ白な頂のように「単独」だった。(本書)
と本書は閉じられるが、当方は雪のイメージから突拍子もなく「楢山節考」のおりんさんを思い浮かべた。楢山まいりならぬ、もはや“エベレストまいり”の単独行ではなかったか。
すこし真面目に書けば、以前栗城さんと知り合いだった女性、談。
――「栗ちゃんはこの社会で同じょうに生きにくさを感じている人たちの『代弁者」のような役割を担っていたと思います。彼にとっても、人から求められることは生きがいであり、社会を生き抜くエネルギーになっていた気がします」〔…〕
「結局はそれも、彼の重荷になっていたんじゃないかって…… 。人々の代弁者だったはずの栗ちゃんが、一番この社会の生きづらさを感じ、最後は潰されたんじゃないかと…… 。たぶん登りたくて登ってたんじゃない」。(本書)
それにしても“技術よりも直観”“プロセスよりも結論”という栗城さんの遠征に何度も同行したカメラマンや“劇場型登山”を煽ったディレクターや記者たち。黙して語らないのは何故か?
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