書籍・雑誌

鷲田清一◆噛みきれない想い

20091124washidakamikirenai

客である相手を主にするのが、接客のこころ(ホスピタリティ)というものである。

愚痴の聞き役になる、憤懣の受け手になる、それを心得た接客のプロのみならず、市井のひとだって接客のマナーはわきまえている。

客がくれば、ふだんは主人が座る床の間の前へと、客に座布団をすすめる。客を主にし、じぶんはその客の客になるのだ。ホスピタリティというのは、その意味でイニシアティヴを客にわたすところにある。〔…〕

じぶんのものである時間をだれかにあげるという心根、そこにこそホスピタリティはある。

最近のお笑いタレントは、「主」がだれかを忘れているようにみえる。

漫才師や噺家としての芸を失い、ホスピタリティのプロであることをみずから放棄している

使い捨てになっても、しかた、あるまい。

――「お笑いタレントの『罪』」

◆噛みきれない想い|鷲田清一|角川学芸出版|ISBN9784046214690200907

★★★

《キャッチ・コピー》

ひとは他者とのインターディペンデンス(相互依存)でなりたっている。「わたし」の生も死も、在ることの理由も、そのつながりのなかにある。日常の隙間にみえるメタファーから「答え」のない「問い」と向き合う、思索のエスプリ。

memo

久しぶりにエッセイが堪能できるエッセイ集。

鷲田清一/内田樹◆大人のいない国――成熟社会の未熟なあなた

| | コメント (1) | トラックバック (0)

高野秀行◆メモリークエスト

20091123takanomemory

英語はできないみたいだが、走り出すと「チャイナ? ジャパン?」と訊いてくる。

「ジャパン」

「ナゴヤ?」

ジャパンといえばナゴヤ。このあとタクシーに乗ったり、店員と話したりするたびに、このやりとりが繰り返されることになる。もちろん、すべて英雄ストイコビッチがいるからだが、それにしても日本の首都が名古屋になったような錯覚に陥る。

東京と大阪・京都に複雑なコンプレックスを持っているという名古屋人がセルビアに来たら、さぞかし愉快なことだろう。

古い石畳の道を路面電車をかわしながら、タクシーはガタガタと旧市街に入っていく。想像していたよりベオグラードはずっと洗練された都市だが、旧市街はやはり道が細く家がごちゃごやと密集している。

「これはいけるかも」と私は生唾を飲み込んだ。

◆メモリークエスト|高野秀行|幻冬舎|ISBN9784344016552200904

★★★

《キャッチ・コピー》

あの日、あの時、あの場所で消えたあなたの記憶、探しにいきます。「探索のプロ」を自任する著者は、縁もゆかりもない赤の他人のために、不安を抱きつつも世界へ飛び立った。時空を超えた空前のドラマが、いま始まる。

memo

テレビではよくある企画だが、読者の一期一会の思い出の人物に、読者に代わって会いに行くというドキュメント。上掲は、アメリカ留学で知りあい、その後音信不通になった男を捜しに、ユーゴの首都ベオグラードへ。かつて尋ね人ボブはユーゴスラヴィア人だった。だが今はセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ、スロベニアに分かれている。ベオグラードは当時いろいろな民族が集まっていたにちがいない。果たして彼は今もここに住んでいるか?

高野秀行◆巨流アマゾンを遡れ

高野秀行■ アジア新聞屋台村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

町田康ほか◆ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ

20091122nine

「あの宮からきた手紙です」と言った。〔…〕

唐衣君が心のつらければ雲雲崖に本地垂れよし

とあった。唐衣? 崖? はあ? 正露丸トーイ飲んで心が幸いので雲がかかった壁に本物の醤油が垂れている様がよい、と言ってんの? 意味わかんないんだけど。〔…〕

驚くほど拙劣な歌。周囲に直す人もおらず、そこここに、よい歌にしようと苦心した痕跡が感じられるのがまた悲しい。〔…〕

なにも考えずにふと、「なつかしき色ともなしになににこの末摘花を袖に触れけむ」と書いた。

それを命婦が脇から覗き込み、「末摘花って紅花のことですよねぇ」と不審そうにしていたが、やがて、意味が分かったのか、ぶっ、と笑い、笑いながら、「べに鼻すか」と言うと、

「紅のひと花衣うすくともひたすら朽す名をし立てずは」

と言った。

赤い鼻やなんかのことを言い触らすな、と言っているのだが、誰がそんなことをするものか。

――町田康「末摘花」

◆ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ|江國香織、角田光代、金原ひとみ、桐野夏生、小池昌代、島田雅彦、日和聡子、町田康、松浦理英子|新潮社|ISBN9784103808510200810

★★★★

《キャッチ・コピー》

9人の人気作家が織りなすもうひとつの源氏物語。現代の人気作家が新しい源氏物語にチャレンジする。

memo

9人の作家による源氏物語短編集だが、意図不明本。しかし町田康「末摘花」は傑作。これだけで十分元がとれる。

上掲の<唐衣君が心のつらければ雲雲崖に本地垂れよし>の元歌は

<から衣君が心のつらければ

(たもと)はかくぞそぼちつつのみ>

瀬戸内寂聴訳では、

<あなたの不実なお心がたまらなく辛いので

わたくしの唐衣の袂は

いつも涙に濡れそぼっているばかり>

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桐野夏生◆魂萌え!

20091121kirinotamamoe

敏子は満足して、いつもより濃く紅を引いた。美しく、艶めかしくさえ見える自分。それは、誰にも言えない秘密を持ったせいではなかろうか。

59年生きてきて、初めて味わう後ろめたさ。塚本の妻、息子や娘、友人たち、そして自分、すべてに後ろめたかった。本当に楽しいことは、実は後ろめたさの中に潜んでいるのかもしれない。

敏子は仏壇の写真を眺めた。隆之もそうだったのだろう。写真の隆之は屈託なく笑っている。敏子は、隆之に話しかけた。

「あなたの人生はさぞかし楽しかったんでしょうね。秘密を沢山持ってたんだから」

◆魂萌え!|桐野夏生|毎日新聞社|ISBN9784620106908200504

★★★★

《キャッチ・コピー》

夫の急死後、世間という荒波を漂流する主婦・敏子。60歳を前にして、惑う心は何処へ? ささやかな“日常”の中に豊饒な世界を描き出した桐野夏生の新たな代表作。

memo

なんだか読むのに体力のいりそうな桐野夏生の小説を初めて読んだ。「東京島」と「魂萌え!」。前者は退屈で、後者はおもしろい。ディテールの差だろう。「魂萌え!」はどこにでもいる還暦世代の男と女のはなしがまことにリアル。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ノンフィクション100選★神戸新聞の100日|神戸新聞社

Nonfiction100_3

1995_3

外壁が剥がれ、一部の鉄骨が見えていた。通用門から3階の社長室に入った時、「ビルがうめいている」ように荒川[神戸新聞社長]には思えた。室内のひどさは形容のしょうもない。

「ビルが崩れずに、立っているのが不思議なほど」だった。

隣の2号会議室を基地にし、すぐに出社している社員を集めた。兵庫南部の交通機関がすべて止まっている状態だけに、顔は揃っていなかった。役員もいれば、一般社員もいる。立ったままで荒川は指示を出した。

「どんなことがあっても休刊はしない。新聞発行に全力を上げる」

未曾有の災害を目の前にして、新聞社がやるべきことは、たった一つしかない。「新聞を出す」ことである。

地域の惨状をつぶさに伝えることも、救援を呼びかけることも、被災者に情報を提供することも、すべては新聞を出すことから始まる。

★神戸新聞の100日――阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い|神戸新聞社|プレジデント社|199511

『神戸新聞の100日』(1995)は阪神・淡路大震災に立ち向かった1300人の神戸新聞社員の姿をみずから描いたもの。20101月にテレビドラマとして放映される。

1995年、大震災で神戸新聞会館が全壊、紙面制作システムが壊滅(製版、印刷工程、発送部門は無傷)。「緊急事態発生時における新聞発行援助協定(94)」を結んでいた京都新聞の協力で無休刊で発行を続けた。

本書で社員たちの奮闘ぶりをあらためて知り敬意を表する。本社が崩壊しても、新聞は無休を守ったというのは偉業であろう。

とはいうものの題字に神戸新聞とあるが、紙面はまるで京都新聞を読んでいるのと同じで、しかも配達されず積み上げられた束は無残だった記憶がある。

大震災時がジャーナリズム神戸新聞のピークであったと思われる。その後経営危機がせまり、営業畑出身の社長のもと、大きく舵を切る。

さて、神戸新聞OBに『マングローブ――テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』(2007)で講談社ノンフィクション賞受賞した西岡研介がいる。

その西岡研介『スキャンダルを追え!「噂の眞相」トップ屋稼業』(2001)は、東京高検検事長のクビを取り、首相を売春スキャンダルで窮地に追い込んだスクープなど「噂真」時代を描いたノンフィクションだが、神戸新聞時代の大震災、少年A事件のころの回顧もおもしろい。

同書によれば、神戸空港建設計画を疑問視した記事に対し、神戸市幹部から“神戸の悲願”を地元紙は批判するなと、社長など上層部にプレッシャーがかけられる。それでも効果がないと、市幹部は社会部幹部やデスククラスに現場を抑え込んでもらうよう攻勢をかけてきた、と。

「『なぁ、西岡よ、あいつらも(空港建設に)必死なんや。もちろん批判すべきところは批判すべきや。けど、少しはあいつらの立場もわかったってくれへんか……』。元神戸市役所担当のOB記者にこう諭されたのも一度や二度ではなかった」

賛否の分かれる問題を報じる場合、新聞は双方の意見を平等に載せ、読者の判断に委ねようとする。この「バランス感覚」に居心地の悪さを感じて、西岡記者は神戸新聞をやめ「噂真」へ転職するのである。そういえば「噂の真相」誌上で神戸空港反対の田中康夫が地元神戸新聞の記者を“それでもジャーナリストか”としきりに挑発していた。

 わたしの勤めていた某法人が、あることで事務上のミスをしたが、“約160万円の不正を働いた”と神戸新聞にスクープされたことがある。なんと朝刊1面トップである。仮に記事にするにしても、どう考えても地域版の1段15行程度のニュースである。

反響すさまじく顧客への対応に追われた。PR誌に協力してもらっている元論説委員やフォーラムを共催している新聞社事業部門は何の役にもたたなかった。社会部長にじかに抗議したら“訂正はできないが顧客を意識した記事を再度載せるから”という。しかしそれは「余波の大きさに揺れている。顧客へ釈明行脚」という騒ぎに輪をかける記事であった。このためホームページに「神戸新聞の報道被害にあった。訂正記事を載せるよう抗議中である」と書いた。

 数日後、わが法人の親会社の幹部から、ホームページの抗議文を削除してほしいと社会部長が言っている、とやんわり圧力をかける電話があった。いまその幹部も社会部長も、それぞれ出世し、取締役になっている。

 神戸新聞は、全国紙と同じテーマの社説でつっぱるなど、紙面はローカルに徹することはせず、プライドの高さを誇っているが、それが裏目にでて、シェアを落としているのではないか。またWeb版でも商業主義と共同通信依存が顕著で、毎日新聞のWeb兵庫版等のきめの細かさにいちじるしく劣る。

そして、いまや商業ビルなどの不動産業が経営の主力であり、阪神競馬場の神戸新聞杯であったり、地元自治体に食い込んで指定管理者という下請け事業に進出したり、“地方紙営業の雄”である。

『神戸新聞の100日』をはじめ、神戸新聞社の阪神・淡路大震災に関する書籍は、子会社の神戸新聞総合出版センターを含め30点を超える。なお阪神・淡路大震災関係書籍は、神戸市立中央図書館によれば、2,222点(1999年末現在)がある。本書はその1冊である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

佐藤優◆功利主義者の読書術

20091119sathodokusyo

役にに立つとか、功利主義というと、何か軽薄な感じがするが、そうではない。

われわれ近代以降の人間は、目に見えるものだけを現実と考える傾向が強い。しかし、目に見えるものの背後に、目に見えない現実があると私は信じている。

思いやり、誠意、愛などは、「これだ」といって目に見える形で示すことはできないが、確実に存在する現実だ愛国心、神に対する信仰などもこのような目に見えない現実なのだと思う。

プラグマティズム(実用主義)や功利主義の背後には目に見えない真理がある。

読書を通じてその真理をつかむことができる人が、目に見えるこの世界で、知識を生かして成功することができるのである。この真理を神と言い換えてもいい。

功利主義者の読書術とは、神が人間に何を呼びかけているかを知るための技法なのである。

◆功利主義者の読書術|佐藤優|新潮社|ISBN9784104752041200907

★★

《キャッチ・コピー》

巷に溢れる書物の中からどれを選び、それをどう読めばいいのか。インテリジェンス・マスター佐藤優が教える、大不況を生き抜くための知の技法。「役に立てる」という観点から本を読み直せ!佐藤優が教える画期的読書術。

memo

本文より……。

――読書には、大きな罠がある。特に、読書家といわれる人がその罠に落ちやすい。読書はいわば「他人の頭で考えること」である。従って、たくさんの本を読むうちに、自分の頭で考えなくなってしまう危険性がある。娯楽のための読書ならばそれでもいい。それについては、楽しい本を自己流に読めばいいので、特に読書術など必要とされない。従って、本書が想定する読者は、娯楽を目的とする人々ではない。

佐藤優◆インテリジェンス人生相談-個人編-

佐藤優◆インテリジェンス人生相談-社会編-

佐藤優◆外務省ハレンチ物語

佐藤優◆交渉術

| | コメント (0) | トラックバック (1)

梯久美子◆昭和の遺書―55人の魂の記録

20091117kakehashisyowa

昭和がもたらした陶酔も傷も悔恨も、日本人は忘れてしまったように見えて、実は深いところでいまだに引きずっているのではないだろうか。〔…〕

戦争を知らず、昭和が終わったときまだ三十歳になっていなかった私でさえ、いま自分が生きているのは、平成ではなく、昭和の続きという時代なのかもしれないと思うことがある。

昭和史について調べたり考えたりしているとなおさら、平成の二十年間が、なんだかのっべらぼうで平板なものに見えてくるのである。

日本人にとって、決していいことばかりではなかった昭和という時代を、なぜ私たちは何度も振り返り、反芻し、いとおしむのだろうか。

それは、個人の人生が、歴史と激しく交差した時代だったからだろう。

すべての国民が否応なしに歴史の渦に巻きこまれた。生者は時代の直接の証言者となり、死者たちは歴史の中の死を死んだ。こんな時代は、あとにも先にも昭和だけである。

◆昭和の遺書―55人の魂の記録|梯久美子|文藝春秋|ISBN9784166607136200909月|新書

★★★

《キャッチ・コピー》

昭和ほど多くの遺書が書かれた時代はない。遺書でたどる昭和史、決定版。

memo

昭和は戦争がすべて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

河内孝◆血の政治――青嵐会という物語

20091116kawachichino

中川 福田さんは派閥解消を唱えたが、結局、派閥に負けた。派閥がすべてになってしまった。

石原 中川さんも、もはや青嵐会という枠を一歩出て派閥結成に踏み切るべきだ。

三塚 単に青嵐会を派閥にしても意味がない。政治は力、力は数だ。中間派を呼び込んだ幅広い連合を図るべきではないか。

浜田 思想のない者が何人集まっても、しょせんは烏合の衆だ。

三塚 そうだろうか……、中川さんを慕って政治行動をともにしたいという人は多いが、「青嵐会には極端な人がいるから……」と二の足を踏んでいる人も多い。

浜田 オレのことを指しているなら、オレはいつでも身を退くよ。中川がそれで派閥の領袖になれるというなら。

玉置、三塚 (正座して深く頭を下げる) ハマちゃん、ありがとう。そう言ってくれるのを待っていたんだ。

◆血の政治――青嵐会という物語|河内孝|新潮社|ISBN9784106103254200908月|新書

★★

《キャッチ・コピー》

血判で契りを交わし、武道館で決起集会を行い、全国紙に意見広告を出した。いつでも口角泡を飛ばし、脚光を浴びた政治集団「青嵐会」。今、政治に求められている“何か”が彼らにはあった。太く、短く、謎多きその軌跡をあらためて現在に問う異色ノンフィクション。

memo

著者は元毎日新聞記者。上掲は、197811月、自民党総裁選予備選で福田赳夫が大平正芳に敗れたあと、青嵐会幹部が集って中川派を結成しようとするときのやりとり。中川一郎、石原慎太郎、三塚博、浜田幸一、玉置和郎……。いまその2世たちが大臣級の代議士。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

吉村昭著/津村節子編◆炎天

20091115yoshimuraenten

20代に読んだ内田百聞氏の随筆が、今でも記憶に残っている。氏は、音楽をよく理解できるが、絵画に対する関心は薄く、人間は、いずれか一方に偏っているらしい、といった内容だった。〔…〕

聴覚型、視覚型と人間をわけてみた場合、短歌は聴覚型、俳句は視覚型の人間がより深い理解度をもっているのではないだろうか。

門外漢ながら私が、短歌よりも俳句を好むのは視覚型であるからだ、と考えた。〔…〕

現代の高名な俳人の俳句が理解できないのは、私が視覚でしか俳句を見ていない、と言うよりは見ることができないからだろう。心の内側から詠まれた句の良さが、すべてとは言わないが、理解できないものが多いのである。

俳句が好きでありながら、私が初歩の愛好家の域を出られない原因は、この点にあるらしい。

――「視覚型と聴覚型」

◆炎天|吉村昭著/津村節子編|筑摩書房|ISBN9784480804211200907

★★★

《キャッチ・コピー》

吉村昭氏は俳句が大好きで、熱心に句作に励んでいた。その句は小説の作風とも繋がり、骨太で人間味溢れるものが多い。幻の私家版句集にその後の句とエッセイを増補した決定版。

memo

還暦の祝いに15部限定の句集「炎天」をつくってもらったが、編集者某氏からもっとも秀れた句としてある一句を記した手紙がきた。それは私が20歳のときに作った句で、となると10年も句会で句作を続けたのに……。という一文が収録されている。文脈からの勝手な推理だが、「夕焼けの空に釣られし小鯊(こはぜ)かな」ではないかと思われる。

 亡兄に似た人見たり冬の駅

 落葉して欅の幹の太さかな

 遅れくる人遅れきて初句会

 大漁旗天一望の鰯雲

 自転車の母も負ふ子も夏帽子

津村節子■ ふたり旅――生きてきた証しとして

吉村昭■ わたしの普段着

川西政明■ 吉村昭

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

矢野誠一◆舞台人走馬燈

20091114yanobutaijin

国民歌手のレッテルをはられ、両手を大きくひろげ「お客さまは神様です」とやっていた三波春夫は、好きじゃなかった。慇懃無礼で、すこぶる尊大にうつったのである。〔…〕

永六輔の紹介で、北桃子の俳号を持つ三波春夫が、私たちの句会にゲストとして初参加したのは1997年の2月だった。

いだいていたイメージが、この初対面でものの見事にやぶられた。こんなこと大袈裟でなく、生まれて初めての体験だった。

仮りにも一世を画した藝人でありながら、謙虚につきるその態度にまずおどろかされたし、辛酸をなめたはずのシベリア抑留体験を語る、ときにユーモアを交えた話術の妙で満座をわかせた。

加えて、ゆたかな学識。それもアカデミズムとは距離を置いたところで、自分で学びとって身につけたものときているのだから、心底参ってしまったのである。〔…〕

初対面のとき、すでに癌の治療を受けていたことは、訃報で知った。

――「三波春夫」

◆舞台人走馬燈|矢野誠一|早川書房|ISBN9784152090652200908

★★

《キャッチ・コピー》

舞台に生きた73人の人生を通して綴られる一巻の戦後文化史。

memo

舞台で活躍した俳優、演出家との“一期一会”を語った短いコラム73本。「それでいて」と書くのが癖で、「(という)なかで」とともにわたしの大嫌いなことばである。

矢野誠一■ 戸板康二の歳月

矢野誠一■文人たちの寄席

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧