書籍・雑誌

2011.09.09

仲村清司◎本音で語る沖縄史

20110909

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その年[1871]の暮れ、宮古の貢納船が那覇からの帰路、台風で難破し、台湾の東岸に漂着した。

生存者66名は人家を求めて徘徊したが、いわゆる「生蕃」の領地に踏み込み、原住民に襲撃されて54名の首が切り落とされるという大事件が起こった。〔…〕

1873年の3月、全権を委任された外務卿の副島は清国に乗り込み、「日本国民が清国の領土内で殺害された」として、厳重な抗議を申し入れた。〔…〕

すると、清国は非を認めないどころか、「琉球人を殺害した台湾は我が国の政令の及ばない化外の土地である」と、責任を回避する答弁をよこしたのであった。

清国側の出方をさぐる目的で清国に出向いた副島にとって、このことは願ったり叶ったりの言質を引き出したことになる。

清国は琉球を日本国と認めたばかりか、台湾を自国外の土地としたからである。

◎本音で語る沖縄史│仲村清司│新潮社│ISBN9784103243427201106月│評価=◎おすすめ

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日本や中国の脅威にさらされながら、独自の歴史を刻み続けた島々。神話から古代、琉球王国の統一と滅亡をたどりつつ、「被害者史観」の固定観念を突き崩す。

<memo>

あとがきにも触れられているが、菅直人首相が副総理だった当時、「基地問題はどうにもならない」「もう沖縄は独立した方がいい」と語っていた。尖閣諸島沖での中国漁船衝突問題での対応など失政連発の菅首相がやっと退いた。本書はあらためて沖縄を知るための戦前までの物語的沖縄史である。

佐野真一■ 沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

奥野修司■ ナツコ――沖縄密貿易の女王

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2011.09.08

田島泰彦ほか:編◎調査報道がジャーナリズムを変える

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20110908

何よりも調査報道の観点から眺めると、メインストリームメディアによる福島原発報道はまさに発表報道のオンパレードであり、政府(官房長官や原子力安全・保安院職員など)や東京電力による会見等の発表をほぼそのまま伝え、解説するというスタイルが報道のベースであり、大きな流れになっている。

これでは、かつての「大本営発表」報道とどこが違うのか。

当局の発表を鋭く問いただし、批判的に吟味、検証し、伝える役割が果たせないだけでなく、発表報道から離れて福島原発をめぐる実態に迫るべく、メディアが独自に取材し、伝える調査報道は全体としてきわめて少ないと言わざるを得ない。〔…〕

調査報道を欠落させ、発表報道をひたすら続ける一方、言論の公平、公正や多様性を捨て去り、一方的、一面的な報道に傾斜してきたメインストリームメディアの原発報道は、ジャーナリズムの存在意義と真価が根本から問われている。

──田島泰彦「調査報道と表現の自由」

◎調査報道がジャーナリズムを変える│田島泰彦/山本博/原 寿雄:│共栄書房│ISBN9784763406033201106月│評価=△

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ジャーナリズムの危機を露呈させた「原発」報道。「発表報道」依存に陥った日本のメディアの危機的現実。ジャーナリズムが本来の活力を取り戻すには?ネット時代のジャーナリズムに、調査報道は新たな可能性を切り拓くのか?

<memo>

ソーシャル・メディアの台頭によってマス・メディアの時代が終わると思っていたら、それ以前に劣化によってマス・メディアの終焉を迎えようとしている。本来時の政権に対し建設的批判をするのがジャーナリズムの役割のはず。延々と菅直人擁護の論陣を張ってきた朝日新聞はもはや滅亡寸前である。菅政権と朝日新聞、共通のキーワードは“劣化”だった。「七月の雨や六、五、四、三月  宇多喜代子」(「俳句」9月号)

岸博幸●ネット帝国主義と日本の敗北 ――搾取されるカネと文化

内田樹●街場のメディア論

原寿雄●ジャーナリズムの可能性

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2011.09.07

中村メイコ◎人生の終いじたく

20110907

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まだ10代の少女だった頃、私は恋をしました。相手は作家の吉行淳之介さん。当時はまだ小さな雑誌社の編集者をしていらっしゃいました。〔…〕

「初恋の人は吉行さん、って私がいいだした頃は、まだ芥川賞もとっていらっしゃらなくて、今みたいに有名ではなかった。世の中のほとんどの人たちが作品はおろか、名前すらきいたことがなかったのに、今はもうすっかり有名になられた。

そうなった今、じつは私の初恋の相手は吉行淳之介なんですよ、っていうのは、うちの夫は東大出なんですの、というのとどこか似てません?」〔…〕

初恋の人が著名な作家、吉行淳之介ではなくて、無名時代の吉行さんだったということに、私はプライドみたいなものを感じています。

──「かけがえない初恋の君、吉行淳之介さん」

◎人生の終いじたく──だって気になるじゃない、死んだ後のこと。│中村メイコ│青春出版社│ISBN9784413037761201011月│評価=○

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とっても大事な「人」「出来事」「物」…人生の終わりが見えてきても、なかなか片付けられないものたち。家族に残しておきたい言葉は? 親しいあの人とはどう別れるの?…中村メイコの爆笑遺言エッセイ。

<memo>

「きみが正常さんの娘でなかったら、ぼくだってけっこう女好きだから、少女のほうからあんなふうに好きだ、好きだという態度を示されれば、なんとかなっていたかもしれない」

吉行さんの父上の吉行エイスケさんと、私の父、中村正常とは、昭和初期の「新興芸術派」のもとに集まった同志のような関係でした(本書)

佐藤嘉尚◆人を惚れさせる男――吉行淳之介伝

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2011.09.06

中原昌也◎死んでも何も残さない──中原昌也自伝

20110906

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誤解されてばかりだが、僕は自分探しをしているわけではない。

自分で思っているのは、何かよくわからない器の上に目ん玉があって、中に何が入っているか自分でもよくわからないし、何となく外を見ているだけ、ということだ。自分の中身など一生見えない。だから、自分探しなど何の意味もない。〔…〕

何もできないし、本当に不器用で、何でもない。小説も全然才能ない。

どう読まれているとしても、すべてわからないし、過去のことだ。自信も何もない。

一応名前とかいっぱい出ているけれど、元は何だったのか、いつもよくわからない。何してるんだよ、といつも思う。とにかく、もう参ってしまった。

何の救いもない。

まだ四十なのに、何の未来もない。

ろくな話じゃない。

◎死んでも何も残さない──中原昌也自伝│中原昌也│新潮社│ISBN9784104472031201103月│評価=△

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こんな四十にだけはなりたくなかった! 21世紀の『人間失格』が今、降臨。もはや生きる伝説となった最後の無頼派作家/ミュージシャンの魂の軌跡全告白。

<memo>

「本書は著者の談話を編集部が構成したものである」と巻末にある。作家が自伝を、書かずに語って本にする。作家の自滅行為。作家業リタイア。それでいいのだ、としか言いようがない。

中原昌也■ 待望の短篇集は忘却の彼方に

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2011.09.05

発掘本・再会本100選★気違ひ部落周游紀行│きだみのる

20110905

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読者が部落に来て英雄たちと話されたら次のやうな会話を聞く機会を持たれるであらう。

──あそこぢやあよ。食ふものがなくてよ、三度三度南瓜だとよ。だから見な。子供たちは元気がありやしねえや。

  

この話のとき読者が話者の語調の中に内心の喜悦が洩れるのを聞きのがされたら、音痴と云はれよう。

但しこんな話をする者がお米を食ってゐると判断されたら、それこそ大間違ひだ。

お米なんかあるものではない。彼或は彼女は甘藷或はじゃがいも組で南瓜には今では喰ひ飽きて喰はないといふだけの話である。

──「56  部落のよき風儀は如何なること要求するか」

◎気違ひ部落周游紀行│きだみのる1948年│吾妻書房│

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日本の文学が持った初ての明るさ!様式の清新さ!慧智と、モラルとヒューマニズムとが、警抜な諷刺と軽快な諧謔と交響する異色の作風は遂に現代文学の最高水準を抜いた!(おび)

<memo>

 神戸の古本市で2011年に入手したのは、19493月発行の第7版である。本書は、1948年に第2回毎日出版文化賞。当時ベストセラーとなり、書名は知っていたが未読のまま。1957年に菊島隆三脚本、渋谷実監督で『気違い部落』として映画化。1951年、新潮文庫。1981年、富山房百科文庫。以後、「気違い」「部落」の用語からか出版されることはない。

「私がこれから読者を招待する部落は交通機関に頼るとすれば、東京から1時間半、次いでバス40分、そこから徒歩15分の位置にある」。現在の八王子市、南多摩郡恩方村の14所帯の一集落である。著者はこの村の廃寺を仕事場とし、集落で起こったできごとや農業と商売を兼ねた住民(機屋、薬草屋、山仕事、饅頭屋、植木屋、煙草屋、酒屋、猟師、山仕事、炭焼、大工、左官等)との交流を描いた。

疎開地の山村の日常を戯画的スケッチとややペダンチックな文明批評。映画では「ここを捨てたとて、日本中どこでもおなじだんべ」という台詞があるようだが、本書はこう書いてある。「条件を変えれば、これはあなたのことです」。

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2011.09.02

発掘本・再会本100選★俳人風狂列伝│石川桂郎

20110902

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伊庭心猿といえばわれわれ交遊のあった者には、すぐ永井荷風の小説『来訪者』が思いうかぶ。その登場人物のひとり木場が心猿である。

荷風の原稿、書簡、色紙、短冊などを偽筆して秘かに売り捌いていたことが知れ、偏奇館への出入りを差しとめられた、簡単にいえばそういう小説だ。〔…〕

死の五日前、「春燈」の片野久夫が心猿を見舞うと、すでに土気色の顔をし、痩せおとろえた心猿が、片野に「もし俺が死んだら、君の名でこの歌を発表してくれ」と言い、

いまは亡き伊庭心猿の家古りて表札はまだそのままなりき

の一首を示したという。生涯の災となった偽筆根性から、彼はついに抜けだすことができなかった。

──「伊庭心猿 此君亭奇録」

◎俳人風狂列伝 │石川桂郎│角川書店│1973/角川選書版:199107月│ISBN9784047030701│評価=◎おすすめ

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ここに語られた11人の俳人は、すべて風狂の人であり畸人である。あるいは世俗に抗しあるいか俗塵にまみれながら、あくまでもおのれの詩境を守った俳人とその周辺が、著者の深い愛情と練達の文章で物語られ、事実は小説よりも胸をうつことを証している。(永井龍男)

<memo>

北村薫/宮部みゆき『名短篇ほりだしもの』で北村薫の“深読み”解説を参考に、石川桂郎『剃刀日記』の中の短編数編読んだ。石川桂郎といえば家業が理髪店で、「花の雨みもごりし人の眉剃(つく)る」「激雷に剃りて女の頸(えり)つめたし」の俳人である。26の短編が収録されているという『剃刀日記』(1942)の古書を探したが1万円、文庫版でも6,000円を超える売価なので手が出ない。

『俳人風狂列伝』は著者(19091975)と同年代の型破りの俳人たちを描いたもの。尾崎放哉、種田山頭火、西東三鬼のほかは上掲の伊庭心猿をふくめ知らない俳人ばかり。一句ずつ掲げる。

 蚊ばしらや吉原ちかき路地ずまひ・伊庭心猿/夜霧濃し看護婦ゆきて白残る・高橋鏡太郎/冬を生き人の遺品を身に纏ふ・岩田昌寿/ほほづき一ツ真赤な弱い男・岡本癖三酔/握飯(むすび)白く大きく勤労感謝の日・田尻得次郎/水洟や息の細りも火吹竹・松根東洋城/夕立に濡れ乾いて乞食なり・相良万吉/父情密冬菜の芯のほぐれぬ黄・阿部浪漫子

 それのしても、尾崎放哉42歳、種田山頭火59歳、西東三鬼62歳、上掲の伊庭心猿51歳など、今から見れば若い死である。

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2011.09.01

北村薫/宮部みゆき◎名短篇ほりだしもの

20110901

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もう夕方だったかも知れない。薄暗い書斎の中で長身の芥川が起ち上がり、欄間に掲げた額のうしろへ手を伸ばしたと思うと、そこから百円札を取り出して来て、私に渡した。

お金に困った相談をしていたのだが、その場で問に合わして貰えるとは思わなかった。〔…〕

「君の事は僕が一番よく知っている。僕には解るのだ」

と云った。

「奥さんもお母様も本当の君の事は解っていない」〔…〕

芥川君が自殺した夏は大変な暑さで、それが何日も続き、息が出来ない様であった。

余り暑いので死んでしまったのだと考え、又それでいいのだと思った。

原因や理由がいろいろあっても、それはそれで、矢っ張り非常な暑さであったから、芥川は死んでしまった。

──内田百閒「亀鳴くや」

◎名短篇ほりだしもの│北村薫/宮部みゆき│筑摩書房│ISBN9784480427939201101月│文庫│評価=○

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「過呼吸になりそうなほど怖かった!」と宮部みゆきが思わず口にした、ほりだしものの名短篇、伊藤人譽「穴の底」。片岡義男、久野豊彦、中村正常、石川桂郎、織田作之助など、目利き二人を震わせた短篇が勢揃い。

<memo>

石川桂郎「剃刀日記」の数編がおもしろい。石川桂郎といえば家業が理髪店で、「花の雨みもごりし人の眉剃(つく)る」「激雷に剃りて女の頸(えり)つめたし」の俳人である。たしかに出久根達郎は『書物の森の狩人』で石川桂郎を“屈指の名文家”と称えていた。

北村薫/宮部みゆき:編◎名短篇、ここにあり

北村薫/宮部みゆき:編◎名短篇、さらにあり

北村薫/宮部みゆき◎とっておき名短篇

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2011.08.31

発掘本・再会本100選★ロマネ・コンティ・一九三五年│開高健

201108311935

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小説家はおずおずと体を起し

「では」

とつぶやいた。

「やるか」

暗い果実をくちびるにはこんだ。

くちびるから流れは口に入り、ゆっくりと噛み砕かれた。歯や、舌や、歯ぐきでそれはふるいにかけられた。分割されたり、こねまわされたり、ふたたび集められたりした。

小説家は椅子のなかで耳をかたむけ、流れが舌のうえでいくつかの小流れと、滴と、塊になり、それぞれ離れあったり、集りあったりするのをじっと眺めた。くちびるに乗ったときの第一撃にすでに本質があらわに、そしてあわれに姿と顔を見せていて、瞬間、小説家は手ひどい墜落をおぼえた。〔…〕

小説家は奪われるのを感じた。酒は力もなく、熱もなく、まろみを形だけでもよそおうとする気力すら喪っていた。ただ褪せて、水っぽく、萎びていた。衰退を訴えることすらしないで、消えていく。どの小流れも背を起さなかったし、岸へあふれるということもなかった。滴の円周にも、中心にも、ただうつろさしかなく、球はどこを切っても破片でしかなかった。

酒のミイラであった。

◎ロマネ・コンティ・一九三五年──六つの短篇小説│開高健19785月│文藝春秋/文庫版:ISBN9784167127121200912月│評価=◎おすすめ

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長年の旅と探求がこの作家にもたらした、深沈たる一滴、また一滴-。酒、食、阿片、釣魚などをテーマに、その豊饒から悲惨までを、精緻玲瓏の文体で描きつくした名短篇小説集は、作家の没後20年を超えて、なお輝きを失わない。川端康成文学賞を受賞した「玉、砕ける」他、全六篇を収める。

<memo>

細川布久子『わたしの開高健』を読んだ後、『ロマネ・コンティ・一九三五年』を再読したくなり、書架を探したが、すでに廃棄(?)。で、book offで購入。『わたしの開高健』に、ロマネ・コンティ・一九三五年のまつわる話があるので、ここに採録。著者は1997年、雑誌の仕事で、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)のオーナーにインタビューするためにヴォーヌ・ロマネ村を訪れる。

──DRCのオーナーは二人。〔…〕DRCの顔的存在のヴィーヌ氏は穏やかな物腰の知的な教授、鋭い目のロック氏は野心的な青年実業家というイメージである。〔…〕

「過去に多くの人がロマネ・コンティをさまざまなかたちで誉めそやしています。一番お気に入りの評価は?」

 ヴィレーヌ氏が代表で応えた。

「日本の作家の小説『ロマネ・コンティ・一九三五年』です。このヴィンテージはもはや存在しないし我々のどちらも味わったことがありません。しかしこの小説を通して、完璧に、細部まで味わうことができました。ワインを味わう喜びを共有する最上の有り様が描かれていましたね」〔…〕

「ロマネ・コンティ・一九三五年は存在しなかったというフランス人のソムリエがいるんです。お二人は飲まなかったとおっしゃいましたが、このヴィンテージは事実、存在したのですね」

「もちろんです。我々は味わう機会がなかっただけです。しかし、あの小説のおかげで、実際のワインを飲んだかのように味わいつくすことができたのです」

「小説のなかで、フランソワ・ヴイヨンの詩を引用してワインの状態を描写していますが、いかがでした」

「見事な比喩です。マンフィック。もしあの小説を読まないでいたら、我々ついに一九三五年を知らないままだったでしょう」

(そして酒庫(カーヴ)を見学し、樽出しのロマネ・コンティ・1997年を試飲する幸運にめぐまれる。以下、著者の表現は開高健調になるのはやむをえない)

──カーヴ内の弱い照明の下でも、鮮烈なルビー色が燦然と輝く。芳醇な香りがじわじわ立ち上がる。華麗。繊細。豊潤。口に含む。何という恍惚。ビロード? サテン? しっとりとした感触。ノーブルでエレガント。完璧なバランス。これほどの美酒を吐き出すのは冒瀆だ。犯罪といってもいい。舌の上を転がしながらかみしめる。ゆっくり飲みほす。全身に幸福感が広がっていく。芸術としかいいようのないワインだった。

細川布久子◎わたしの開高健

細川布久子◎部屋いっぱいのワイン

開高健/高橋曻・写真★オーパ! 

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2011.08.30

細川布久子◎部屋いっぱいのワイン

Photo

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「文は人なり」と言いますけれど、「ワインは人なり」って近頃の私は思うようになって。

以前は、ワインもわれわれ人間と同様、時間や経緯によって変貌し、予想もつかなかった表情を見せる点に魅かれ、愛着を覚えていたんです。今はそれに加えて、

ワインを味わうことはそれを造った人を味わうことだ、と思うんです。

有名無名を問わず、造り手の人柄とワインの魅力が一致することが多いんです。

ファレール家の大輪のバラの花にも似たゲヴュルツトラミネールの艶麗さはコレット・ファレールそのものだし、ドメーヌ・ラロッシュのシャブリの上品な酸味はミッシェル・ラロッシュのジェントルマンぶりと重なりあうし。

こんなふうに文学をとらえることは可能でしょうか。

◎部屋いっぱいのワイン│細川布久子│集英社│ISBN9784087487893199805月│文庫/「エチケット1994」(19954TBSブリタニカを改題)│評価=○

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作家・開高健氏に教えられたワインの味と不思議―。美酒に魅せられ、女ひとりで渡仏して8年目、パリで開かれたワインの試飲会で、優勝。ブドウ畑を贈られたうえに、1994年に造られるワインには私の名を明記したラベルが…。第4回開高健賞奨励賞受賞のワイン修業奮闘記。

<memo>

細川布久子『わたしの開高健』を読み、著者の前著を探した。以下は、『わたしの開高健』にも記載されているエピソード……。

「ホソカワクン、キミも今は元気そうだが、いつ病気になるかわからんよ。ご存知のように、私は世界中をあちこちと回り歩いたおかげで、ドエライもんが手に入りましてな。万病に効くという薬や。それをアナタにさしあげます。そやけど一遍に沢山飲んだらあかんデ。チビチビと飲むんやデ。病気になったら飲みなさい」

封筒には、開高さんの筆跡で、

「萬病之薬

(但シ少量ズツ服用ノ事) 

と、したためられていた。〔…〕

帰宅して封筒を開けると、中に入っていたのは、折りジワひとつない真新しい100ドル札だった。それが10枚、きちんとピンで留められていた。私は目を疑った。〔…〕慌てふためいてホテルに電話をかけた。しどろもどろで要領を得ない私に、開高さんは、こうおっしゃったのである。

「そんなに気にせんでもよろし。ワタシが若く貧しかった頃、誰かにしてもらいたかったことを、してみただけのことです」

細川布久子◎わたしの開高健

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2011.08.29

細川布久子◎わたしの開高健

20110829

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『これぞ、開高健。』の巻頭対談の相手は吉行淳之介さんだった。

それは「男の哀しさ」がたえずほころびでた対談だった。

誌上に載せることができたのはわずか半分。ほとんどオフレコだった。〔…〕

「四十二、三でえらい事件に出くわして……。早くいうと、前の晩、アレをしたりコレをしたりデタラメをしつくしてホテルで騒ぎまわった。その女が、翌日、交通事故で死んで……。救急病院で白い布を被って死んでいるわけ。夕べ寝た女を今日火葬場で見送るというようなことをやっちゃった。〔…〕

ヴェトナムで、いろんな戦場で、兵隊が目の前で死んでいく。ナイジェリアで子供が餓死していく。そこへハゲワシがやってきてジーツと見守っている。いろんなことを見て鍛えていたつもりだったけれども、それは鍛えたことにはならなかった。

結局、自分が情念をついやした女が死んだという、それだけのことでのけぞってしまう、はかないひとりの男にすぎなかった」

◎わたしの開高健│細川布久子│集英社│ISBN9784420310536201105月│評価=◎おすすめ

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開高さんの電話は、いつも独特の挨拶で始まる。「アワレナカイコウデスガ…」私はいつもクスッと笑ってしまう。担当編集者として“私設秘書”として見つめてきた、作家開高健の素顔を描く。

<memo>

上掲は、以下のように続く。

「吉行さんは黙って杯を重ねながら耳を傾けている。傍らでカセットレコーダーをいじるふりをしながら、このように自分の挫折を告白する開高さんの正直さに私は胸をつまらせていた。」

本書はそのタイトルから、作家の死後にその愛人が告白するたぐいの本かと思ったが、そうではない。編集者として、師と畏敬する作家・開高健への愛惜極まりないオマージュである。なんだか切なくなる本である。著者にはかつて1995年に開高健賞奨励賞の『エチケット1994』(文庫化で『部屋いっぱいのワイン』と改題)という著書がある。本書で開高健ノンフィクション賞を受賞できるかどうか、前著との重複部分がかなりあるので、そこが心配。

開高健/高橋曻・写真★オーパ! 

開高健/谷沢永一・山野博史:編 ●われらの獲物は、一滴の光り

開高健■ 一言半句の戦場――もっと,書いた!もっと,しゃべった!

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